めぎつねのゆめまぼろし ――地球連句の未来のことーー

鷹柱見つ

おととしあたりから私はなぜかめぎつね。三河の野山を走っている。茂った欅の幹をこんこんと叩くと。北摂津の山猫庵にFAXが送れる。片山多迦夫氏の油断ならない俳諧に懸命に応戦していたら「実は猫蓑庵にもFAXがあるんだよ」と南柏の東明雅氏もご登場。(む。二十年来の師であるぞ)昨年は三吟を三度しぼられてしまった。

   名にし負ふ鷹柱見ついらご崎   多迦夫
     碑ひとつ小春日のなか       藍
   ひょうひょうと能管吹くは誰ならん 明雅
                     (歌仙「鷹柱の巻」より)

 鷹柱は私も数年前に伊良湖岬のさしばの渡りで一度見ることができた。南の海上、曙の光の中に鷹が、まさに蚊柱のように群れていた。双眼鏡で見ても小さくはるか彼方だけれど、上昇気流に乗り羽ばたく鷹たちは豪快に風とたわむれているにちがいなく、浜べにいる私にはそれは天上の遊びに見えた。生き物はなぜか遊ぶ。生きているのを無心に確認したいのだ。だから遊ぶ。命いっぱいにね。連句もーーー。ほら笛が聞こえる。
 ところでこの伝統歌仙「鷹柱」の巻も、両俳諧師の白いお鬚も、インターネットめぎつね座のホームページで公開されてる世の中である。カタカタカタカタ(キーを叩く音)。

地球連句シンポジューム

昨年は十月に国士舘大学で「地球連句シンポジューム」があり、めぎつねも、提言者とパネリストのお役目を勤めかたがた、子狐―じゃなくゼミ学生たちを連れて馳せ参じた。
 21世紀社会は情報と交通の進歩により、政治、経済、文化全ての面で人的、物的交流にさらされている。百年の科学と社会の激動の歴史を経て。日常の衣食住、生活様式が変る。日本語をふくめローカルな伝統が破壊されるかもしれない。しかしだからこそまた、極東の島の実にローカルな連句(俳諧の連歌)という文化が地球上の別の言語をもつ人々にも愛され、伝わる可能性をもつ。
 幸運なのは俳句がHAIKUとして先行し世界に広まっていることだ。この日の講師であるイオン・コドレスク氏、ビル・ヒギンソン氏はそれぞれルーマニア、アメリカのハイク協会の会長経験者である。何より自然と人事の小さなひとかけらをいとしむ短詩の価値が受け入れられている。そこからの芭蕉研究も連句への関心になっているようだ。そして、この日コドレスクさんが「コラボレイション」という単語で語ったように、個ではなく共同で創作する座の存在を、世界の詩への新しい提案の光と考える人がいる。
しかし他言語によるHAIKUは日本語の五七五の韻律を多くは三行詩にした。連句も欧米語では五七五句を三行詩、七七句を二行詩として広がりつつある。この日の講師の許耀明氏は中国語で五七五句、七七句に対応する漢字の文字数を工夫中であるという。HAIKUは俳句なのか?という疑問と同じくRENKUは連句かという問いは、よかれあしかれすでに地球化の問題として発進している。

転じを伝える

 地球連句――という言葉を大げさと感じる人もいるかもしれない。でも、92年に私は国際連句協会の一ヶ月に亘る「北米連句ツアー」に参加した。出掛ける前は、まさかアメリカで連句なんてと思っていた。だが主催者の近藤蕉肝、クリス夫妻の通訳、翻訳により、私たちはのべ二百三十人余を連衆として二十六巻の連句を巻いて帰った。
 その旅なかばのサンタフェの座で、当然ながら発句と脇句はサンタフェの風物ではじめた。しかし連衆はバングラデシュ、アメリカ、イギリス、そして日本と、国籍も肌の色もいろいろであった。机を囲み、それぞれの国の季節について語り合っているとき、私はふっと自分はいまサンタフェで連句をしているのではなく、「地球の上で」連句をしているのだと感じたのだった。
 第三から当座を離れ、自由に広がる連句世界。そこでの交流が言語をこえたというのは実感だった。通訳があれば、わからない言葉、内容は説明しあえる。互いの文化の違いを認め、好奇心をもってそれを想像し、受け入れ、理解する努力、そのどこかに人間としての共感を見いだそうとする努力。それが連句を創る座にはある。あれから8年。世の中に必要なのはまさにその努力ではないか。
 国際連句の歴史の中で、その旅は北米の多くのハイク詩人に転じの概念を伝えたのも大きな成果だった。当時すでにハイク詩人たちの口から「ニオイヅケ」「ヒビキノツケ」などという言葉も出たし、芭蕉の付け句を(英語で)つぶやく人もいた。他人の句に「付ける」ことで共感し、ある詩情を創り出すことは理解されていた。しかし「ウチコシ句からは転じる」という連句のメカニズムについてはヒギンソンさんなど少数の人以外は初めて聞き、経験したようだった。
「付け句は前句にのみ付いて、打越の句とは全く縁がない。このような関係を何回も 何十回も繰り返して一巻の作品が創り出される。このような詩制作の手法はどこの国の文芸にも見られない、私どもの先祖が新しく創り出した独自のものである。究極においては、この独自の運動メカニズムさえ失わなければ、その一巻がどのような形式をとろうとも、どのような式目を採用しようとも、私はそれを連句と認めようと思う」(東明雅「連句の復活とその将来」季刊連句創刊号 S58年)
 今日まで国際連句協会や今回シンポジュームの主催者福田真久先生その他多くの連句人の実践により、欧米アジアに連句が拡がり、外国人だけの連句作品も作られてゆくとき、変容淘汰されるものがあっても、このメカニズムだけは失われてはならない。
 ユニークだから、伝統だから言うのではない。それが連句だからだ。前句に付けるときにウチコシを意識しないことはありえない。前句に共感しつつ、前二句の既に作った世界を続けまいとする主張。新しいもの、違うものへの好奇心。多様な角度から思考する訓練。かさねていうが、連句のこの本質じたいが、これからの世界の人たちが生きるのに必要な価値観を内包しているからだ。
 シンポジューム後の舞台ではゼミ学生(桜花学園大学)たちと、国士舘大学生と、ロシア、中国の留学生が二巻の連句を発表した。

     栗むいて日露連句をはじめけり   美香
       クロワッサンの月がほんのり イリーナ
     珊瑚礁のぞけば魚が群なして    利恵
       ふたりの恋はきっとはてない   英里
           (連句14「日露連句の巻」より)

 前日彼らは豪徳寺駅で買った茹でたてほかほかの栗を食べつつ連句を巻いたのだった。

つぎの世代へ

 日本の文化も大きく変容しつつある。若者たちを連衆にして、ひとりの年配の連句人が捌いたら、彼らの興味、持っている単語は外国文化ほど違ってみえるかもしれない。
 私自身は学生たちに連句を「国語表現」の授業で実作させて八年になる。「連句を伝える」のが目的ではない。
 学生にこう呼びかける。「連句(付け句)は友達どうしで言葉を工夫しあうので、言葉の表現を磨くとてもよい手段です。自分たちの今の生活、今の思いを、自分たちの言葉で表現しよう。おもしろい自分、すてきな自分を見つけよう。季語もとりこみボキャブラリーを広げよう」 毎年たいへん盛り上がる。連句は彼らの表現の型式として合っている。「授業で友達と恋愛の話なんて」――実はそれが一番話したいテーマだった。
 座はそれまでの友人との関係を思いがけぬほどに深め、新しい人間関係を作る。昨年、韓国の留学生(又松大学校日本語学科生)を各座にいれた。日韓学生の交流に非常に有効とわかり今年は留学生必修指定授業になった。
 インターネット時代で書き言葉が話し言葉に侵略されているという。だからこそ言葉の表現をリズムを磨くべきだ。まさに「俗語を正す」連句の出番じゃないか。高校の国語教育でも「伝え合う」をキーワードに連句授業実践記録が発表されているのは頼もしい。
 学生たちにとって季語とは、たいていは語彙を増やす便利な存在である。また「鰯雲」という単語を一度使えば、空を見る目、ひいては自然の移ろいを見る目が変わる。海外で季語が歓迎されるのと同じように、季語は人の心を自然界へ誘うドアの働きをする。しかし、月が秋? ぶらんこが春?「季語集に出てるから」「伝統文学が積み重ねた季感である」の押しつけでは通らない。「自分たちの表現」を目的とする以上、いまの彼らに感覚的にも納得できる、説明が要る。
 一昨年インターネットホームページを開いた。電子掲示板(BBS)で、1本の連句の鎖が自然発生し、えんえんと続いている。24時間空いている部屋に発言書き込みは一日に80ないし100件くらい、句の治定は15句から20句。2年で7000番をこえる長い長い連句である。終わりを決めてないのだから構成がない。とにかく付けと転じを死守している実験的連句である。俳句連句経験者ではない一般の人がとびこんでくることも多い。夏には夏の句が多くなる。これは実感だろう。観音開きになったり三句がらみになっているとスタッフが却下したりする。しかし付いているか転じているかの判断はときに難しい。帽子と子どもは同字ウチコシか?。インターネット画面で歌仙のように字面を気にする必要があるだろうか。国際連句が登場してから「帽子と子供を英語に訳せばまったくウチコシじゃない」という発言も出る。
いま、連句は一般社会へ、外国へと自らをさらけだしつつある。式目、作法などの伝統が、詩であるためにその普遍性をいちいち問われるときがきているようだ。
鎖連句では「地球上のどこかで生きているじぶんたちの暮らしを話しながら、日々を大事に生きるようにこつこつと付けて転じていこう」を合言葉にして楽しんでいる。
 ちょっとパソコンを開けてみましょうか。

  7776   菊人形の妖艶な寺      舌打ち猟師
  7777  くのいちの影が走って銀杏散る    雪兎
  7778   芭蕉驚く連句の鎖         タマ助
  7779 反故とやら拾い集めてリサイクル  あづさ 
(KUSARI 2001年1月16日午後2時ころ)

 誰も彼もが連句をする必要はない。しかし連句は歴史的に庶民が表現を獲得し、そのエネルギーを土台にうち立てた文芸である。
「上へ上へとひたすらに上昇を志向する詩的精神と、現実の地平にどこまでも踏みとどまろうとする下降化のダイナミズムは、わが国の詩史上たえて類をみない、すぐれて特殊な言葉の世界をいとなみいだした。芭蕉の俳諧がすなわちそれである」(『ことばの内なる芭蕉』乾裕幸)

       露の砂漠に眠るキャラバン      雅
      贈られしマルメロ匂ふ旅鞄       迦
        髪をゆすれば男七人         藍
                (歌仙「鷹柱」の巻より)

 連句の未来?それに生涯をかける魂たちが続くなら続くだろう。
おい、めぎつね、どーする? コン (ころも連句会)
「矢崎藍の連句わーるど」