『痛い痛い!』2001.02.16 No.29

itaiitai.jpg まだ寒いですね。梅のつぼみもふくらみ、クロッカスも細い芽をつんつん出したのに。
 春を待つのはいま「痛い痛い」と言っている友人がいるからもある。彼女は昨年腰を骨折。そのあとがまだ就寝時にひどく痛む。痛み止めも座薬も最近減った。胃潰瘍履歴があるのだ。「私の痛さはお医者にはわからない」と嘆く。「痛くて長生きするより痛くなく短く生きたい」――うん。わかるけど。
 私も二年前右肘を骨折した。ギプスがとれた後が痛かった。痛み止めを飲むと昼でも眠ってしまい仕事ができない。目がさめると薬が切れる。つまり起きてるときはずっと痛い。
 大病でなければ、痛いくらいしかたないとはいえる。でも「どこも痛くない」日がきたときはなんと幸せなことかと思った。しかし一難去ってまた一難。翌年は胸に影ができて手術された。ときどき妙に思い出すのが緑のタイルの手術室だ。
 思いがけなくBGMが鳴っていた。私の腕に点滴の針をいれている麻酔科の医師に「先生、バッハを聞きながら手術するんですか」と言ったんだっけ。もう言えなかったんだっけ。次には麻酔が切れかかる闇にいて、人工呼吸器がはずされた。その後痛い日々が三ヶ月続いたなあ。
 痛さを堪えるには二種類の希望が要る。まず短い単位での希望。あと2時間5分で痛み止めが飲めるとか。二つ目は長い単位での希望。あと3か月したら痛みがなくなりますよという保証があればかなりうれしい。リハビリでひどく痛くてもがんばれる。何年というのはつらいが限度があれば紛らわす工夫はある。
「この痛みはしかたないよ。治らない」とだけは言ってほしくない。(けっこう言う人がいる)それを言う人の冷たさに切られてなお痛い。
 もうひとつぜひ必要なのは「痛い」と言える相手だ。私の人生の先輩たちは「歳をとるとね、どこかしら痛くない日はないわよ」と教えてくれる。「でも痛い仲間は多いからね」
 私は寝る前にはじめに書いた友人の痛みがましなように祈る約束をした。暖房完備でも寒さは、痛い人たちにはこたえる。だからね、今日も、はーるよこい。はーやくこい。
(やざきあい 作家・桜花学園大学教授)