『上の空の夏の月』 2002.07.12 No.51

 梅雨なかば、凌霄(のうぜんかずら)が妖艶に咲き出した。わが家の門はひばの原木を立てただけで、それが気に入ってからみつき茂った蔓はがっちり太い。
 原産の中国で見たら、日本のより赤が濃かった。洛陽の白馬寺。日照りの階段を汗だくでのぼりきって着いた高楼。その甍より高く柏の巨木が聳える。そのはるか梢に朱赤の花。なるほど凌霄(大空を凌ぐ)なのだと納得した。
 ちょっと共感もあります。私は子どものときから上の空とよくいわれてまして。「コラ、真剣にご飯食べなさい。何考えてんの」この年になってまだ治らない。いつも頭がいっぱいで。
 今は「夏の月」のことを考えている。去年北京大学の日中連句研究会に行った。日本語と中国語で翻訳しながら連句をしたのだ。そのときご一緒した鄭民欽先生著の『日本俳句史』を、先日たまたま読んでいた。
 芭蕉の「蛸壺やはかない夢を夏の月が訳されている。「陶罐捕章魚、 忽人生  残、夏夜月如玉」――ふむ。ふむ。日本人は漢字を見ると感じがわかりますよね。
 では、私の住む三河地方に残る芭蕉の「夏の月御油より出でて赤坂や」はどう訳されるのかしら。あれは実際に東海道の御油宿―赤坂宿を歩いてみないと訳せないはずだ。「鄭民欽先生、歩きにきませんか」と北京への電話でお話したのが事の始まり。とうとうこの八月六日に鄭民欽先生をお招きし、御油の松並木を歩き、日中連句会をする行事ができてしまった。
 翌七日は私の勤務校で「日中連句会議」つまり第二回日中連句研究会を日本ですることになった。で、私の上の空には夏の月がぽっかり。

(やざきあい 作家・桜花学園大学教授)