『かぼちゃの花』2001.7.28 No.36

PUMPKIN.jpg 日盛りの住宅街を歩いていたら、フェンスの葉かげに懐かしい黄色。。あら、かぼちゃの花!戦後すぐのころ、母の家庭菜園にあった花。夏の朝の味噌汁にこの黄色い花がきざまれて浮いてたんだ。青臭くてぬるっとする舌ざわりは子ども向けじゃない。でも、ひもじい時代だった。雑草のあかざのおひたしまで食べたんだよね。
 焼け跡の東京の小学校の校庭は、土埃がたたないように黒い石炭殻が敷かれ、転ぶと手足が傷だらけになった。鉄棒はどれも弧になっていて真ん中が低い。空襲で校舎が炎上したとき、鉄棒も熱で溶けてたらりと曲がり、そのまま冷えたのだそうだ。ぶらさがるときの斜めのつかみ心地はいまも覚えている。 
疎開先からこの小学校へ転入したのは一年生の夏だった。最初の日の給食でミルクが出た。机をいくつか向き合わせた班で、皆がじっとこちらを見ている。お椀に注いでもらったミルクを一口飲んだら、向かいの女の子が、隣の男の子にこそこそと言ったのが聞こえた。「あの子、ミルク平気で飲んでる」私は味など全然わからなかったけれど、もう一口そろりと飲んで、嫌な顔をしてみせた。2,3日すると緊張がとけ、まずいふりをするどころではなくなった。進駐軍が子どもの栄養補給のため支給した脱脂粉乳である。焦げ臭い匂いのどろっとしたものを、息をとめぐっと呑みこむ。午後になると男子の小便所のコンクリートは、すてられたミルクで白くなった。
 父は激戦のインパールから生還したが、帰国後にマラリアが再発して病院で死んだ。私は戦争の被害者だと思い続け、加害者でもあったと知るのはずっとあとである。

(やざきあい 作家・桜花学園大学教授)