『煙突の中』2001.09.14 No.38

entotu.jpg  小学校一年生のころ。
戦後の東京の町は空き地だらけ。
高い草が茂り、ヒルガオが咲いていた。
学校が終わると同い年のゆうこちゃんと遠出した。粘土の出る赤土山、昔は庭だったところのほうずきの群生。
秘密はお風呂屋さんの跡のコンクリートの煙突だった。焚き口からもぐりこみ、さらさらした砂地を這っていくと丸い部屋に出る。見上げると、暗い煙突のはるかてっぺんに小さい丸い空があった。私たちは煙突の壁によりかかってくっついて座り、色んな話をした。
 丸いちいさい空には雲が流れる。一度、烏の黒い影がとまって、カアと鳴いたら、すごい反響で、私たちはびっくり仰天、大笑いしてしまった。一人できて眠ってしまったこともある。暗くてこわくてお腹がすいて帰った。大人の知らない孤独で平和な場所だった。
 そのころ学校帰りに若い男に話しかけられた。家をきかれ、「向こう」と指さしたとたん塀のかげにつれこまれた。泣いたので男は手を離した。煙突の中でこの事件をゆうこちゃんにだけ話した。
 小学校には、女の子の服の下に手をいれる先生がいた。クラスの女の子は皆知っていて親に言わない。
先生というものを尊敬しないわけではないが、まるごと信用してはいなかった。
四年になって担任の男の先生に可愛がられ、よく教えてもらった。放課後にふたりきりになったとき、あわてて大急ぎで帰った覚えがある。
 夕陽のさした階段を駆け下りてゆくとき、先生の「なんで逃げるの」という声が反響した。別に何をされたわけではない。気の毒な気もしたのだが、 あれから50年。人間の雄の理不尽さを、今も恐れる。

(やざきあい 作家・桜花学園大学教授)