『みどりご』2001.12.7 No.42

midorigo.jpg 師走にはいると正月用の発句をつくる。昨年用は

 パンドラの函あけましておめでとう    藍

だった。皮肉というより自己嫌悪だ。
1900年代後半の先進国家の繁栄の生活を私も享受している。
バイオ研究、クローン研究、インターネット。科学技術の発達は両刃の剣と知りつつ、社会はあとから出てくる問題を追いかける。
 人はね、自ら仕出かすことに、責任をもち、対応できるくらい賢くなきゃいけない。
めでたいめでたい。少々ヤケな句ね、これ。でも、今年の正月。私の周辺、卒業生たちに、赤ちゃんがつぎつぎにきた。

 みどりごのあくびうつくし初明かり     藍

みどりは古語だ。みどりの黒髪というように、本来緑色という色ではない。
細胞がいきいきしてつややかなことをいう。私たちは生き物だから命の輝きに最も心をとらえられる。
若葉、新芽、赤ちゃんは美の極致。赤ちゃんを見てると、ついにこっとしてしまう。
ことにあくびしたり、息をしてるのがいいんだな。
 パンドラの函をあけてしまった人類が、賢く生きるのはほんとに難しい。
このまま進んでいっていいのか。立ち止まって考えなくては。そんなとき、一番大事なのは、
哲学でも、思想でもなくて、幼いもののうつくしさを感じる心じゃないか。
それがヒトの世の中を考える際の感覚の土台だと、私は今強く思う。
もちろん自分の子でなくてもです。飢餓と空爆の下の地域にも、いま幼い子たちが息づいている。

(やざきあい 作家・桜花学園大学教授)