『レーニンとタクシー』2000.08.04 No.21

renin.jpg ロシアから帰って蝉時雨の中にいる。この暑さには西瓜がおいしい。ロシアでも道路で西瓜がごろごろ積んで売られ、朝食にも必ず出てきてちょっと意外だった。
 なぜロシア行きかって? 私の学生時代は60年安保まっただ中。歌声喫茶でロシア民謡を歌いまくっていた世代である。 しかし世紀末、ついにベルリンの壁が崩れイデオロギーの時代が終焉を告げる。そこでまた印象的だったのが、旧ソ連のレーニンなどの銅像が倒され破壊されるテレビ映像だった。日本では(近代には西欧の真似で銅像を建てたが)江戸時代までは大仏様やお地蔵様はあっても、偉人を大きな像にして仰ぎ見たりしない。人間の像を建てることも、また倒すことも実に生臭く、西欧的だと思った。
 今度の旅も人間の銅像が気になっている。ただし案内されたのはプーシキンやドストエフスキーなど文学者の像が多かった。レーニン像は撤去されたものもあるが、土地によってはそのまま残っている。ガイドのエレーナさんに聞くと「60代以上ではまだレーニンを尊敬してる人も多い」という。「エレーナさんは?」と聞くと「私はあまりーー」と笑った。この国を長く知る人によればロシア人はペレストロイカ以後、外国人にとてもにこやかな表情になったそうだ。
 かっての首都サンクトペテルブルクにも国家を北方や西方との戦争から守った偉大な功労者たちの銅像が立っている。エカテリーナ女帝も堂々と広場を見下ろしていた。 レニングラードという都市名は廃止になったけれど、レーニン像もバスの窓から見た。「あれはタクシーをとめるレーニンね」とジョークつきの説明。ロシアではタクシーを止めるとき、手をあげないで斜め下にのばすのだ。
 その日タクシーに乗るので、添乗員氏にこれをやってもらった。大通りの雑踏の中で、彼の手ののばし方は本当に朝見たレーニン像のとおりだった。
大柄の運転手さんはロシア的英語で、私たちの日本的片言英語と(たぶん誤解だらけで)大声で話しながら、時速80キロでとばし、別れにはにこにこと手を振る。
 降りたのはネバ河のほとりで午後八時.。しかしペテルブルクはまだ日差しがまぶしい。十時ころにようやく街の夕焼けの色が濃くなり、スケッチする私は色鉛筆をだんだん赤く塗りこめていった。旅の最後の夕べである。