現代連句の片隅で 矢崎藍 「日本古典文学全集 松尾芭蕉集」月報 (小学館)

前句付けと前後付け?ここにも山猫登場

ときおり、身のまわりの連句作品を片端からめくって句を探す晩がある。新聞のコラムで宿題にする付け句の前句探しだ。あ、若い作者のこの句はどうじゃ。

 月の夜のこっそりのぞく冷蔵庫  真美

 暗い部屋でひとり冷蔵庫を開けると中が明るい。想像がかきたてられそうな場面ではないか。まずは付けやすいかどうか、ためしにファクスで、連句仲間だの、ゼミの卒業生だのに付けてもらう。たちまち返事がかえる。 
 
     (月の夜のこっそりのぞく冷蔵庫)
  ぼくは母さんのペットではない    ときよ
  失くした恋のかけら探して        聖子
   ポテトサラダが「ヤア」と挨拶     知里
 
 ふむ。冷蔵庫はなかなか奥が深いようだ。そこで私ものぞいてみたら、製氷皿の向こうに海が見えたよ。あ、怪しい影が。待てえ。
  
     (月の夜のこっそりのぞく冷蔵庫)
 よちよち逃げる皇帝ペンギン         藍

ーーこんなひとときを過ごしてから、新聞コラム(中日新聞「付けてみませんか」)で付け句を募集する。ふたを開けて発表する、いわばお祭りまでの、待つ間もまた楽しい。
 昔々精霊のよりしろとなった枝垂桜の下に集まり、句を付け合って遊んだこの国の人たちのDNAは、歴史の変遷に耐え、ちゃんと現代まで伝わってきている。
 精霊は? 言葉の精霊はもともと集中力の働く空間のどこにでも出現する。戦後の学校教育のせいで、出現範囲をせばめられていたけれど、ファクス、パソコン、インターネットなど、おしゃべりな情報社会が到来したのだから、いよいよ跳梁跋扈のときである。
 私の連句経験にしても、実は一座するより手紙やファクスでの文音のほうがはるかに多い。
 ほら、ファクスがきた。やや。ピンとお髭のマーク、摂州山猫さんからだ。「参州めぎつね殿」というのは私のことである。そう。私はきつね。ふさふさしたしっぽをはやし油断のない目のめぎつね。
 いや、もとは山猫さんは摂津の俳諧師片山多迦夫氏であった。しかし私との文音で最初の歌仙を巻いている途中、なぜか、

   わが星は春天頂の山猫座    多迦夫

と名乗り、山猫に変身したのだ。
 対吟の相手が何になろうといいけれど、対吟にもいろいろある。あの歌仙(「うどんげ」)は喰うか喰われるかだった。俳諧も人生も修行年数が足りず、危うく喰われそうだった私は、山猫の出現に対抗しないわけにはゆかない。
   
  めぎつねは尾を一閃の流れ星    藍
 
腕力はなくとも速攻、いや早逃げでいこうという作戦。ーーそれ以来のめぎつねである。
 で、今夜の山猫通信はーー。

「参州めぎつね殿
 そちらでは前句付けをやっているようですが、後句付というのを試みてはいかが。また一興です。今晩飲み屋にて恋の名残の花を一句物したので、その正花の前後の句が欲しいのです。曰く
 
  (            )
 唇を盗まれたのと嘆く花    多迦夫
  (           )

摂州山猫」 

これはまた、付けと転じのパズルである。 別にあわてなくてもいい。けれど長考してからつまらないのを送ったら口惜しい。しばし考えて一案を送る。

「摂州山猫様

  御息所吐息あえかに             藍
唇を盗まれたのと嘆く花 迦
  宙に震へて黄金色の虻 藍

 いかが。          めぎつね」 

もう一歩のところかかなあと思っているとじきに返信がくる。

「女心の揺曳に黄金色の虻はよし。しかし御息所(みやすんどころ)は"盗まれたの"という現代っ娘にそぐわず。
少し酔いがさめてきたので、ブランディを少々嘗めてから寝ることにします。オヤスミ」 

キッ。キッ。寝られちゃった。でも、女心の揺曳ですって? 私の黄金色の虻は唇を狙っている雄のつもりだったんだけど。それにこの花で現代っ娘はないと思う。雌の目で見ると、気にいらない女だぜ。そうか。わかった。山猫さんは雄なので、自分の作った女主人公のコケティッシュにだまされている。そうだ。そこがポイントだ。

「再度挑戦します。  

快楽(けらく)の扉錫のかけがね        藍
  唇を盗まれたのと嘆く花 迦
くるくるまはす春のパラソル 藍

この花はウソツキです。   めぎつね」 

 翌朝のファクス。

「うーんいいね。藪の中。経験のないやまねこはただ黙して感心するのみ」

 いえいえ。ときに作者よりも付ける者のほうが句を真剣に読むということではありませぬか。それに、今回はじめてのパズルだったが、前後の句を付けるときはずいぶん多角的にものを見るものだ。
 そこへまたファクス。

「めぎつね殿 追伸
 ご存じでしょうが、こういう花を俳諧の正花で、根のない花といいます。呵々    摂州山猫」 

 山猫軒の数多い注文の中で、この問題はことにおもしろかった。
 そういえば両吟の二巻め歌仙にはこういうわたりがある。 

  幾劫を経しやまねこの声             藍
師伝あり古壺には新酒盛れといふ   迦
  胡桃ぽかりと割れし手応へ 藍

 すっぱい新酒だけれど、胡桃をせっせと食べているめぎつねである。そのうちきっとましになるでしょうーーとかいいながら、時々つっぱるのが、野生のあさましさ。この巻では、次の句を付けたときだった。 

盗賊の荷の伽羅の馥郁            藍
 稿いまだ成らず平成方丈記 迦
あはれ時雨るる上九一色 藍

 時雨の句に上九一色の地名は出すべきではないと、ファクスが返ってきた。
「上九一色は今は理解できるが多分二、三年で忘れ去られる際物時事」と。
 いったんは受け入れ「富獄百景時雨るるもよし」と直してみた。でも、どうも残念だ。
「浅間山荘と上九一色での事件は、私たち戦後教育を受けてきた世代には、わが内なる病として、忘れられない痛みがあるんです。『平成方丈記』執筆の際には、阪神大震災と上九一色はいれるべきです。お願いします」
 何をまあ。いったいどこの誰が『平成方丈記』の稿を書いているのだ。その内容になんだってめぎつねがこだわるのだ。
 それが連句だとしかいいようがない。ただの平句一句だけれど、自分の句への誠実さの問題なのじゃ。イエーイ
 ここまで書いてしまったので、この歌仙「夕づつ」の巻の最後を。さっきの胡桃の句の後には、うっとりする月がついているのだ。 

(胡桃ぽかりと割れし手応へ)        
月を見るやがては妻となる人と 迦
  時が止まってしまふ恍惚 藍
ナウ 薔薇の門くぐりて古き街並に  迦
  シチリア生まれシェフは早起き 藍
何よりもデュフュイの海の色が好き 迦
  凧ちぎれゆく一点の赤 藍
風神に雷神も来て遊ぶ花 迦
  わだち残さむ春泥の里 藍

 しかし今眺めて我ながらあきれるのは、この明るさだ。このへんは最も難渋した所である。実はその前から山猫さんは奥様が入院中だった。そして私はこの歌仙なかばで子どもが大手術の事態となり、東京往復をくりかえす。やまねこさんからのファクスには「平常心、平常心」と何度も書かれた。二月に始めた歌仙が六月までかかっている。
 それなのに。
 なぜだと思います? 山猫さん。

「それが芭蕉さんの仰しゃる風雅ということでしょう。わかってるくせに憎ったらしいめぎつねめ。
オヤスミ。          摂州山猫」

後日談  ここで私が句にした「上九一色」はオウム事件です。今、この地名と事件は記憶に残るか。際物時事句か?どうお考えになりますか。   藍
(2000,5,20)