「挿花」(小原流)1997,6月号 加筆転載「連句協会報」101号-102号
山猫様まゐるめぎつね(上)
ファクスがくる。摂州山猫さんから。宛名は「参州めぎつねどの」ーーつまり私はきつねなのだあ。
二年前ちらっとお逢いしたときの山猫さんは、私にとってかねて聞き知る連句の大先輩という方だった。私も狐ではなくて、阪神大震災後の三月、大阪で開かれた連句の会を中日新聞の仕事で取材にいった一匹ののら猫物書きであった。まずはその片山多迦夫氏という方の捌きの座を、横からのぞいただけ。でも、今でもはっきり覚えている。
震災後暮らしはつかにシクラメン 多迦夫
洗濯ものに風光る午後 芳子
という発句・脇の付け合いで始まっていた。「暮らし はつかに」にいたく感心した。惨たる震災の事実をそこにひそめておいて、シクラメンの花の一種ひ弱な美しさ。ーーもちろんここまでは一句の感動なのだが、その発句に脇がついたときの明るさ。シクラメンも洗濯物もなんと明るい光を浴びて、ほっとしていることか。
句が付いてさっと変化する情景、句と句の共感の流れーーやはり連句は「動」である。新聞記事にももちろんこの付け合いを載せた。わずかなつながりができたものの、その後お逢いすることはないまま、半年後、この大先輩に文音(手紙の連句)のお誘いをうけた。緊張した。私は「連句が好きで好きで遊ぶのだあ」と広言するいまどき派。で、あちらは、年期のはいった俳諧師である。そういえば江戸時代には旅をして各地の宗匠の門を叩く武者修業ならぬ俳諧修業があったという。
「頼もーーーオ」
こちらから出した句がよくないと玄関払いになるかもしれぬぞ。
まず発句。氏の俳諧自選集「うどんげ」の中から私が選ぶことになる。
昭和十六年、たぶん旧制中学の学生さんであったころの句にひかれた。
1 優曇華や母にひとつの古き琴 多迦夫 (夏)
手紙を書く。「お笑い下さい。昭和十六年の私は一歳です。祖父にとっては七番めにようやく生まれた女の子でした。(父の兄弟は五人すべて男の子。父の最初の子が私の兄)祖母は女の子の孫にいつか琴を教えようと楽しみにしていたのです。でも、やがて東京大空襲で家も倉も焼け、古い雛人形と琴も、疎開途中の列車が爆撃されて灰になってしまいます。戦後は焼け跡からの出発で琴どころではなく、私が高校生のとき亡くなった祖母は、『あなたにお琴を教えてあげたかったのよ』と琴爪のはいった蒔絵の箱だけをくれました。三千年に一度咲くという優曇華(うどんげ)の花は、はるかではかない夢ですね。
2 昼寝さめたる夢のほろほろ 藍」 (夏)
この長文の説明にもかかわらず、多迦夫氏は優曇華の作句事情について何も語らず、第三がきた。そういえば「句のことは句に語らしめるのみ」とご本のどこかに書いてあったっけ。
まあ、とにかく歌仙は無事始まったのだった。
(昼寝さめたる夢のほろほろ)
3 旅の空星と月との饗宴に 多迦夫 (秋)
第三は発句と脇のもやもやとした述懐をたちきって、目がはっとさめる星空と月である この旅は星空に、輝く月にめぐまれた旅なのだ。昼寝の夢にもその夜空が輝き、ほろほろとさめた夢にまた、旅は続く。ーーこれは私が解釈した付け心。ここで季節が秋になったので私も秋の句を付ける。饗宴だから御馳走でいこう。
4 千本しめぢ沸き出づる山 藍 (秋)
これが松茸ではだめなのだ。星と月との饗宴にはぞろぞろぞろと出る茸でなくては。「付ける」ということはそういうふうに前句に感覚的に支配される。けれど今回はどうも前句から「つきつけられる」って感じだな。そう思いながら、私は性来の隙だらけ。つぎに付けた句で叱られる。
5 鵙鳴いて今たけなはの七番碁 迦
地方新聞記者のペンだこ 藍
「前句の響きを受けていない」と一直された。
6 至急報見し記者の驚き 藍
これは納得だ。面目ない。七番碁の緊張感にペンだこではただの情景描写ではないか。しかしこういう油断をすかさずついてこられるのは、実にわくわくする。やるぞー! というわけで歌仙三十六句の表六句を終えたところで、緊張は戦闘意欲にかわり、裏にはいる。
(至急報見し記者の驚き)
7 サラエボの民に水無し電気無し 迦
8 神のマントの裏は暗黒 藍 (冬)
9 きぬぎぬに銀杏黄葉は降りしきり 迦 (冬 )
9の句は女と別れる朝だ。運命は神のみぞ知る。しかしアパルトマンの暗いドアを開けると明るい街路だった。銀杏黄葉が輝いて降っている。このきぬぎぬには耽溺してしまう
(きぬぎぬに銀杏黄葉は降りしきり
10 生の歓喜よ君の鼓動よ 藍
ところで、シリアスになっている流れがここから変わる。
11 仙厓の虎は大きな猫に似て 迦
12 ぬめっと笑ふ団子屋の婆 藍
虎がいなかった日本の昔の掛け軸では、虎はよく、たて一線の猫の目になっている。「ぬめっと笑ふ婆」は門前町の団子屋の婆のつもり。へへへ、この句で通過したぞ。俳諧師ってやっぱり遊ぶもんだよね。
しかつぎの付け句の遊びようが、また激しい。
(ぬめっと笑ふ団子屋の婆)
13 見下ろしてフォッサマグナの走る渓 迦
団子屋の婆が見下ろした渓底は深いのなんのって、フォッサマグナが走っていると。ぬめっと笑ってるのは婆だろうか。それとも摂津の俳諧師御自身? 葉書を表にひっくり返したら、おや、俳句が一句書いてあった。
わが星は春天頂のやまねこ座 迦
キャ。やまねこ座なんてありましたっけ。でも、春天頂なんていうと、なんともかっこいいのである。実は私は三十年前から三河に住みつき「なーに、ただののら猫」などと言ってきた。しかし今、のら猫じゃぜったい山猫に負けるじゃないの。どうしよう。それで狐になることにした。実はこのあたりの民話には江戸時代に、飛脚をするめぎつねがいたらしい。最後は好物の鼠の天ぷらの罠にかかって死ぬんだけどーーまあ、死に方は天の決めることだ。
返しの付け句の最後に「参州めぎつね」と書き、きつねのしっぽの絵を付けた。そう。ここから私は狐になる。
このころ私の東京往復が増え、文音の通信手段もファクスになる。(この連句の勢いは確かにファクスのスピードが合っている。こちらの狐の尾マークに対し、あちらからもピーヒョローとファクス音とともに山猫の左右のぴんとしたお髭があらわれるようになる。
「あなたがそんなに忙しい日々を送っているとは知りませんでした。まあ、若いうちはしっかり荷物を背負って坂を登ることですね
摂州やまねこ拝 参州めぎつねどの 」
ーーなんてわけで。
そうそう、さっきのフォッサマグナへの付け句だが、時間を一億年さかのぼってみた
(見下ろしてフォッサマグナの走る渓)
9 ジュラ紀の夏の終焉の月 藍
フォッサマグナのあたりで死滅寸前の恐竜が寒い夏の月を診ていたかも知れぬーーと。
山猫様まゐるめぎつね(下)「連句協会報」102号
ファクスがくる。摂州山猫さんから。宛名は「参州めぎつねどの」ーーつまり私はきつねなのだあ。
ーー先回(Ⅰ)の文章を読んだ知人が「藍さんが書くとゼンブ楽しくなっちゃう」と書いてきた。『急げ! 影が逃げる』式の徹底したアカルサ、前倒し性。これはおそらく天性なんでしょう」と。ご冗談でしょう。私ってけっこう暗いんだぞ(イバルことはないが)。 明るいのは連句空間なのである。そこでは未知への好奇心、驚き、表現エネルギーのボルテージが上がっている。そしてまさに「急げ」! 影が消えぬうちに言葉をひっとらえよ! だから、この場に電球をつなげばパアっと白色光が輝くはずだ。
現に私はファクス紙を手にとったとたん、なぜか狐に変身する。
わが星は春天頂のやまねこ座 多迦夫
なんて眼を光らせている山猫につかまるまいぞ。浮き世の露に濡れたしっぽをぶるんと振り、参州の野をひゅうっとかけていく。
さて、歌仙「うどんげ」報告を続ける。
13 見下ろしてフォッサマグナの走る谿 迦
14 ジュラ紀の夏の終焉の月 藍 (夏・月)
紀元をさかのぼる一億年大地の裂け目を見下ろしているのは、たぶん絶滅を前にした恐龍である。それを照らしている月。ーーここに山猫さんはゆうゆうと次を付ける。
(ジュラ紀の夏の終焉の月)
15 町挙げて音楽祭を祝うらん 迦
月を見つめたまま、たぶんまばたきしたのだ。一億年が一瞬に過ぎる。月はそのまま空にかかり、向こうの町で音楽祭がたけなわのよう。「らん」の一語につなぎとめられたタイムスリップである。
しかもこの「らん」にはなんとなし孤独も漂っている。
(町挙げて音楽祭を祝うらん)
16 十六歳の娘たいくつ 藍
17 鞦韆を漕げば落花の溢れくる 迦 (春)
18 渦潮を観る舟の大揺れ 藍 (春)
19 世の中は常にもがもなうららかに 々 (春)
*鞦韆(しゅうせん)ぶらんこ
娘のぶらんこの足元から舞い上がる花。ぶらんこも花に囲まれているだろう。あふれる花を堪能してから、漁(あさ)り場で長短句を交代する。
もっとも、この18の渦潮は初案が、
沖の小島を包む春潮
である。返信に「春夏秋冬の語はた易く使わないこと。花から三句のわたりはのどか過ぎる」と。まっことさようで。(ジュラ紀の夏は自分で出した句だ)未熟を認め、しっぽをぱたんぱたんと地面に叩きつけるめぎつねであった。
「沖の小島」だの「舟」に「世の中は常にもがもな」と続けたのは源実朝の面影である。
(世の中は常にもがもなうららかに)
20 五劫思惟の仏敬う 迦
寺院で阿弥陀仏に額づいている小さい後ろ姿だろうか。それを遠のかせ、次の句を付けようとすると、「五劫思唯」の語が改めてはるかなのだった。
(五劫思惟の仏敬う)
21点滴の間遠に朝は白みつつ 藍
私の記憶の底にぽつりぽつり落ちる点滴は大切な人のベッドの脇で見ていたのである。長い夜を息してきた病人は、白々明けにほっとしたようにやや深く眠る。すでになすべきことは何もなく、その人は永遠の時間に流れ入ろうとしていたーー
しかし、ひとりの思いに沈む間はなく、歌仙のページはめくられてゆく。
(点滴の間遠に朝は白みつつ)
22 大震災に家族散り散り 迦
23 茂り野のここにブティックあったはず 藍 (夏)
24 瞳に泌むばかり青き六月 迦 (夏)
なんと鮮やかな青。この六月は旧暦である。「六月や峰に雲置く嵐山」という芭蕉の句のように、梅雨明けのくっきり晴れた夏空である。このあたりで私は自分にそれまであった構えがなくなってとても自由になっているのに気がつく。歌仙の半分をすぎた名残の裏はアバレ場所。しかしそれを意識しているわけではない。ただ、めくられてゆくページのおもしろさに没入している。
(瞳に泌むばかり青き六月)
25身を投げてすき透る魚になりましょう 藍
26 浮名もゆかし夕霧といふ 迦 (秋)
恋の果て、身を投げるのは夕霧さん。六条院の若君夕霧を源氏名とするそのひとは、水に落ちるとすき透る魚になり、ひらひらと泳いでいってしまったとか。
(浮名もゆかし夕霧といふ)
27 臥待の語り尽くせぬ艶話 藍 (秋・月)
28 濁酒を呷りし闇市のころ 迦 (秋)
29 限りなき自由求めし魂ありて 藍
いつか、戦後になっている。闇市が立ち、濁酒(どぶ)を呷る大人たち。当時小学一年生だった私に、東京の焼け跡は限りなく広かった
(限りなき自由求めし魂ありて)
30 ゴッホの鴉いまも羽搏く 迦
芸術はいつも自由を求めつづける。俳諧(連句)の歴史も、形式化と表現の自由との闘いをくりかえしてきている。めぎつねも羽搏くぞ!(羽がないわい)ーーと書いたら、俳諧師山猫の返信は「呵々」という字で笑った。
さて名残の表が終わり、あとは匂いの花と挙句へ向かい飛んでゆくのみ。
(ゴッホの鴉いまも羽搏く)
31 十字架を並べし丘のなだらかに 藍
32 ちんどん屋行き聖歌隊来る 迦
33 屋根裏に昔々の糸車 藍
34 頬をくすぐる啓蟄の風 迦 (春)
あれれ、啓蟄の句と同時に挙句もきましたよ。
「挙句 桜の園は喜劇四幕。 迦
これで美しく寂しく、すこし悲しい正花を付けて下さい。チェーホフが喜ぶでしょう。呵々。
北摂やまねこ敬白
参州女狐様参る 二月七日。九時四十分」
また「呵々」じゃ。笑われながら、すなおに啓蟄の風と、桜の園のひねった句の間で、しんと悲しい自分に沈むぎつねである。
35 花のあともう逢ふこともない握手 藍 (春)
36 「桜の園」は喜劇四幕 迦 (春)
チェーホフは喜んでくれただろうか。
翌日一巻成就の祝辞と喜劇四幕の説明がきた。
「桜の園はチェーホフ自身が表題に"喜劇四幕"と記して、昔から問題になっているのです。一読して悲劇なることは明瞭なのですが実際に舞台を観ていると、喜劇だという作者の気持ちが判ってくるのです。人生は所詮悲劇即喜劇であるから面白く、そこに俳諧があるという主張です」
そう、それでやまねことめぎつねは、歌仙の旅の喜劇を演じてきたわけなのである。この喜劇は悲劇か? もちろん! 歌仙の旅の宴はここに終る。私は花の句を作るときそれが無性に悲しかった。連句にともる異様な明るさは挙句とともに消える。二度と同じ巻はない。。人生に同じ時間がないように。そして月日は百代の過客。ーーピーヒョロロロ。
めぎつねは尾を一閃の流れ星 藍
(「挿花」(小原流1997,6月号)加筆転載「連句協会報101-102 号)
後日談 ーーーところで、このファクス歌仙文音がはじまってしばらくして、私は師の東明雅先生からお葉書をいただいていた。「善哉、善哉。北摂庵宗匠は私が信頼する俳諧師です。充分に胸を借りて伝統的な俳諧の手法を会得して下さい。そして、それを新しい連句にどう取り入れるか研究して下さいーー」ーーかくしていかにめぎつねが背のびしてつっぱったことかーーー!
しかし、この歌仙行で、山猫座が出現したからこそ私は狐。そして、私が狐になったこともぽつぽつ知れて「狐になったお祝いに一巻やりましょう」なんてFAXが舞いこむ。え、武州の狸さんからなんですって。そしてとうとう上記の歌仙行のてんまつを北摂庵経由で読んで下さっていた東明雅先生から、再びお葉書で「この際、紫狐庵、あるいは雌狐庵と名乗られてはいかがでしょう」などとお言葉をたまわり、コン! ついにめぎつねはふさふさ尻尾をひっこめるわけにいかなくなったのでした。俳諧ーーを辞書で引くと1がおどけ・たわむれ。滑稽である。
たわむれにきつねになりしいのちかな 藍
*写真はキタキツネ 撮影 窯 於 北海道留寿都 標高994m山頂
(2000,5,19)
うどんげの巻 ファクス 文音
1 | 優曇華や母にひとつの古き琴 | 多迦夫 |
2 | 昼寝さめたる夢のほろほろ | 藍 |
3 | 旅の空星と月との饗宴に | 迦 |
4 | 千本しめぢ沸きいづる山 | 藍 |
5 | 鵙鳴いて今たけなはの七番碁 | 迦 |
6 | 至急報書く記者のペンだこ | 藍 |
7 | サラエボの民に水無し電気なし | 迦 |
8 | 神のマントの裏は暗黒 | 藍 |
9 | きぬぎぬに銀杏黄葉は降りしきり | 迦 |
10 | 生の歓喜よ君の鼓動よ | 藍 |
11 | 仙涯の虎は大きな猫に似て | 迦 |
12 | ぬめっと笑ふ団子屋の婆 | 藍 |
13 | 見下ろしてフォッサマグナの走る谿 | 迦 |
14 | ジュラ紀の夏の終焉の月 | 藍 |
15 | 町挙げて音楽祭を祝ふらん | 迦 |
16 | 十六歳の娘たいくつ | 藍 |
17 | 鞦韆を漕げば落花の溢れくる | 迦 |
18 | 渦潮を観る舟の大揺れ | 藍 |
19 | 世の中は常にもがもなうららかに | 藍 |
20 | 五劫思惟の仏敬ふ | 迦 |
21 | 点滴の間遠に朝は白みつつ | 藍 |
22 | 大震災に家族散り散り | 迦 |
23 | 茂り野のここにブテイックあったはず | 藍 |
24 | 瞳に沁むばかり青き六月 | 迦 |
25 | 身を投げてすき透る魚になりましょう | 藍 |
26 | 浮き名もゆかし夕霧といふ | 迦 |
27 | 臥待の語り尽せぬ艶話 | 藍 |
28 | 濁酒を呷りし闇市のころ | 迦 |
29 | 限りなき自由求めし魂ありて | 藍 |
30 | ゴッホの鴉いまも羽摶く | 迦 |
31 | 十字架を並べし丘のなだらかに | 藍 |
32 | ちんどん屋行き聖歌隊来る | 迦 |
33 | 屋根裏に昔々の糸車 | 藍 |
34 | 頬をくすぐる啓蟄の風 | 迦 |
35 | 花のあともう逢ふこともない握手 | 藍 |
36 | 「桜の園」は喜劇四幕 | 迦 |
平成七年十二月一日起首翌年二月七日満尾