付け句コミュニケーションの原点から―付け句コラムとインターネット連句

矢崎 藍(2010年 「連句年鑑」 連句協会)2017-09-23

付け句のDNA

 新聞で「付けてみませんか」という連載コラムを毎週書いてきた。前句を出して投稿された千句余の付け句から選句して、発表がてらのコラムである。気付いたらもう二十一年め。そもそもは紹介した恋の付け合いの句に読者から付け句がきてしまい、あれよあれよとこの形に展開してしまった経緯をもつ。振り返れば胸がつまる程に多くの方と句でお付き合いしてきたのだった。

       (ばったり会った人ごみの中   めじろ)
    「久しぶり」手を握ったが名が出ない    賢々
    目を伏せて揺れる黒髪あっ笑った    だりあん

  応募の年齢層は上限100歳から下限は小学生。主力は五十、六十、七十代。あとは各世代平均している。

       (恋とは不意にやってくるもの  卓 )
    腕まくり時計はずした白いシャツ       紅
    稲光天地で握手するように         青麦
  俳句、短歌や、川柳などをしている作者もよく現れる。
       (ちょっと待ってと呼び止める声 蘭月)
    三ヶ月働きつぎの職探し         さとる

 「ここ五年ずっとです」とある。時事句は世界情勢もあるが年金、福祉に加え近年は雇用と婚活がめだつ。個人目線の生活実感が主になるのは新聞という場の特性だろう。

       (時間よ止まれいまこの場所で  のら)
    娘十三虹の絵描いてるダウン症     のりさん

この句にも事情が添えてあり、掲載後「障害児をもつ親の思いを汲み取っていただきうれしかった」とお便りがあった。生まれて初めての投句だったとか。それまで読者だった人が、ある前句を見て突然作者に変身することはよくある。前句の呼びかけが通じた瞬間なのだと思う。
 前句はいつも連句作品から探す。学生の句も古典の句も出す。発句を拝借しても脇の作法を要求したりはしない。

       (市中はものの匂ひや夏の月     凡兆)
    買い物袋に西瓜半分            H3
    ポタリと守宮落ちる軒先           暁
    他人の顔ですれちがう妻       岩津志乃ぶ
    ネットカフェで息子難民          天嶺
    ヒエログリフの浮かぶ円柱        ふさ子
    空を仰いだ時間旅行者           獅狼

 投稿者のはがきに「時々ここはカラオケルームに似ていると思います。演歌あり。民謡あり、学生歌曲あり、フォークあり、ロックあり、私はJ―ポップ系かな」とある。
 始めのころ歌壇俳壇のように、掲載中の優秀一句に薄謝を出すべきかという話が出た。でも、「このコラムの読者は、賞での差別化はよろこばないだろう」という結論になった。つまり巧拙よりも、前句との共感、表現―を楽しむコミュニケーションコーナーだという位置づけで、私も賛成だった。みんなで句を付け合おうよ! それがいいな。

       (さまざまのこと思い出すさくらかな 芭蕉)
    ミトコンドリアが深呼吸する       三日月  
    たらればかもの積もる夕暮れ       タヌ公

 そもそもここまできちゃったのは「私のせいじゃないよな」という感覚がある。付け句のスキなひとたちのせいである。句を付けることが、ひどくスキなDNAをもってる人は確実にこの国に何%かいて、発信するとそのアンテナがキャッチするのである。
 勿論付け句投稿にとどまらず、連句界に踏み込む人もかなりいる。また、表現の授業をする先生から、生徒さんの付け句の応募も時々あり、毎年恒例の「とよた連句まつり」(豊田市・桜花学園大学主催)の特別記念大会で募吟をしてみた。学校だけで四千余句の付け句がきて、以後新聞コラムとタイアップで「全国高校付け句コンクール」も始まる。前句は恋テーマにする。女子向け? いえ、どうしてどうして。某工業高校の先生も「恋句が盛り上がります。男子生徒にとって一生一度の恋句作り体験かもしれないんですよ」といわれた。ここは在原業平の国なんである。

       ( 呼び出し音に胸が高鳴る 翆 )
    おまえ好きウソちゃうねんでホンマ好き  梅ノ進             

 応募は年々着実に増え、第七回の昨年は一万五千余句の付け句がきた。付け句の神様の思し召しだろうか。

*BBS掲示板での鎖連句発生

 この世にインターネットが出現したとき、連句を載せてみたいと強く思った。きっと相性がいいはずだ。1999年一月に連句のホームページを開いた。関係グループ作品、授業報告、対吟の実況などをする。技術係くんが「HPは動かなくては。BBS(掲示板)があれば誰かしらきて会話してくれて楽ですよ」と提案。
 このオプションに付けたBBSに、思いがけず不思議な連句が発生することになる。楽どころのさわぎではなかった。
 始めは私の連句会仲間がおしゃべりの間に付け合いなどしていた。

 若い男性がきて「ブラックバスってフライがおいしいんですよ」
 「へえ」
 数日間のバス談義のうち、彼が一句

     ブラックバス釣れてるときは優越感      麦の子一号

 「どうですか」ですって。まあ連句に無関係な人が私たちに付き合って句を作ってくれた!
 「でも釣れても僕等、殆どはキャッチ&リリースと言って、寸法測ってから放すんです」
  聞いてつい彼の句に付ける。

      瀕死のぼくを測る巻尺             藍

 それから話題はとんだが、今度は彼が巻尺の句に付けた。

    ダイエットふらふらしても目盛り読む       麦の子一号

 「あら転じてる」
 面白がって連句仲間のミャーママさんが続ける。で、四句目、五句め。

      すぐに食べてと届くぼたもち           ミャーママ 
    おばあちゃんの里に灯ともす谷いそぎ     藍

 「谷いそぎって春に先がけて咲くマンサクです」と私の説明。
 そこへ登場したのが、新聞コラムの読者さん。

    遅れちゃなんねと田んぼを起こし         おはぎ
      春休み暇もてあまし眠り姫           々

  彼女は中学時代から付け句を投稿し入選してきた常連でもう大学生ですって。もちろん私は付けずにいられない。

      一雨ごとにうるむ薔薇の芽           藍

  そこへまた新人現る。えーっ、カリフォルニアから。

     からからの沙漠の空に梅一輪          雨乞い小町。
         どくろが見てる永遠の幻          藍

 という具合にこのバスの付け合いが伸びてしまった。
 数日してきたおはぎちゃんが「うわあ、句が続いてるー。なんだかうれしいです」とまた付ける。この三月二日の「句が続いてるー」というおはぎちゃんの声は私たちをたいへんわくわくさせた。なにか連句を始めた昔に戻ったような。いえ、そもそも平安時代の末に、掛け合い連歌から三句、四句とつながり長い鎖連歌ができてゆく時のよう。
 まだ新人が現れる中、小町さんとおはぎちゃんが精勤、ついに私たちは、前の句の語、内容を繰り返さぬようにとか、付け、転じの注文をしだす。若くセンスがいい。すぐ呑み込みうまくなる。番号を付けて整理する。100番を優に越えていた。

    167  リストラに若年退職肩叩き         小町 
    168   いちにっさんしとつづく人生        おはぎ
    169 終了の合図鳴ってる洗濯機        ミャーのママ
    170  濃すぎるかしらけさの口紅        藍

 以後さらさらと今の私たちの生活感が現代の日常語ベースで流れてゆく。
 方法としては鎌倉時代の笠着連歌に似ている。寺院の満開の桜の木の下で句を付ける。庶民にまじり僧侶や貴人がお忍びで笠を着け仮の名で付けたとか。インターネットではそれが広い広い世界から、多分感性の通じる人たちがやってきてるんだ。桜の宴は終わらない。望む人がいれば午後も明日も続く。どこまで続くか行ってみようか。
 ただお客さんの多くがここにくるまで連句について全く知らなかったこともわかった。三百番すぎに、基本ルールとして次の【連句の原則】を書き形式を整えた。

  ☆お話しながら連句をつなぎましょう!
  ☆連句は五七五句と七七句を交互につなげてゆく鎖です。
  ☆付け句するときは
      ①前の句に付けるー前句をよく読んで発想してください
      ② 但し前の前の句(ウチコシ句)からは転じるーウチコシ句に似ないように
  ☆ 一句付くたびに新しい世界が開けていきますよ。コン

 最後のコンは、私のハンドルネームがめぎつねだから。そうそう私たちの連句の感動の出発の文章も引用しよう。
 「付け句は前句にのみ付いて、打越の句とは全く縁がない。このような関係を何回も 何十回も繰り返して一巻の作品が創り出される。このような詩制作の手法はどこの国の文芸にも見られない、私どもの先祖が新しく創り出した独自のものである。究極においては、この独自の運動メカニズムさえ失わなければ、その一巻がどのような形式をとろうとも、どのような式目を採用しようとも、私はそれを連句と認めようと思う」(東明雅「連句の復活とその将来」『季刊連句』創刊号)。このメカニズムを確保するぞ!
 24時間開放なので同じ前句に何人かの付けがかち合う時は早いものがちにする。01秒まで機械が表示する。惜しい句も落ちるけれど、その見物も面白いものだ。
 人の出入りはまだ増え、じきに一日に百発言近く、二十句からときに三十句はすすむ。ということは落ちた句も相当ある。ぐんぐん流れる連句を整理し記録するために、小町さんはじめ最初からの主なメンバー数人がスタッフになってくれた。自分たちも句を付け、ともに連句の流れを作り最終的な捌きをすることになる。

   5115 ゆったりとクルージングの独り旅      蕗
   5116  女神の笑みは自由たたえて       小晴
   5117 戦いの好きな男を産んだ悔い        麦   

KUSARIのルール

 この鎖連句に「KUSARI」と名を付けた。かくて付けと転じの原則による現代連句の追究! と言いたいが、実際の付け句では季語の運用など、具体的な部分での基本的合意も必要だ。私たちが学んできた伝統式目、作法の数々は、この原則を共同制作で実現するために、歴史的に積み重ねられたノウハウなのだと改めて思う。それらを土台に整理して、よりよい連句をするアドバイスとして「Q&A」というページを添えた。
 ただし、今度の連句は、百韻や歌仙などのような定数作品ではない。内部構造がない。だからそれに起因する縛りはいらないだろう。
 ここでは付けと転じの三句のわたりを根本原則としたから打越の障りには厳しい。でも素材、季節などの「句数」についての制約はやめた。
 かなり自由になった感触である。春や秋の一句捨てもよし。前句にふさわしい時、流れに必要と感じられるとき秋を付ける。月、花の座も決めない。素秋よし。そうなると月をいれて秋三句したりするのが古式で優雅に見えたりもするからおもしろい。花の短句が出やすくなった。
 やはり八月は夏の句が多いし、冬は冬の句が多いが、年間通しての四季のバランスはとれているようだ。季移りもちょいちょい出る。常識的に判断して矛盾しなければいい。季戻りも「矛盾なければ」可。市販されている季語集の分類にただ従うのでなく付け合いの内容を、今の感覚で考え柔軟に判断する。つまるところは座の連衆に納得されればよいのだが、さてネット連衆は幅広い。この社会的文芸、連句の現世でのありように、以後私たちはさまざまな局面で悩み、議論し、その後もこのページは細部を書き直している。 

KUSARI連句の連衆心

 ネット連句のよさは、当然ながら参加自由なことだ。付けたい句に付ける。付けたくない人はパソコンをしめる。ひっそり見物だけでもよし。たった一句付けて去る人もいる。でも一句でも付けたらその人はこの連句を繋いだ仲間、連衆だと私たちは思っている。

   9810 じゃがいもに爵位があって茹でられる   雪兎
   9811  つぶしてしまえば自由平等。      みのり

 「あ、うまい!」登場する作者たちの名は句の個性によって互いの記憶に刻まれる。しばらく留守だった人が現れると「久しぶり」という挨拶もある。実際懐かしいのだ。
 新入りさんがハマってしまい毎日何度も来ると先輩が「ビョーキですよ。KUSARI熱です」とからかう。常連はほぼ罹病経験者だ。でも熱が高すぎると家事や仕事に差し支える。やがてそれぞれの生活に応じ(毎日、週一、年一とか)適度なペースになる。キリ番で賦物百句をするとき旧常連が何年ぶりかに現れるのも、いとをかしである。
 朝パソコンを開く。「おはようございまーす。櫨の葉がすっかり散りました」と言いながら、ゆうべに続く句が付く。首都圏、中部地方の紅葉の話題に、札幌は平均気温1度で凍るぼやき。、カリフォルニアは暑さで黄色にけぶる山のたより。小町さんはこちらの午前二時に「おはようございます。出勤します」と出かけ、真夜中組は「いってらっしゃい。みなさんおやすみなさい」と句を付ける。ここは24時間営業の街角の喫茶店かな。いやオープンカフェだよ。裏通り、いや表通りで、実と虚をないまぜに広い世の中に開いている。
 そして私たちはじきに生身で会いたくなった。ネットの情報は虚で終わらず現実世界をつなぐ力をもっている。小町さん来日を最初とする年1回くらいのオフ会。秋の大学祭での連句まつり。連句の全国大会。かなりのメンバーが顔を合わせる。「ええっ、あなた男性? てっきり女性かと」という仰天があっても、話せばやがて確かにあの句の作者のイメージが見えてくる。句は人なり。KUSARIでの連衆心は現実にも裏打ちされてゆく。
 連句初心者には、インターネットだけでなく各自の地域での連句の座の体験を勧める。付けと転じの原則さえもっていればどこでも通用する。連句とは結社をこえて遊べるジャンルなのだから。でも、老婆心でした。すでにここには連句人も参入している。連衆はとっくにあちこちで横につながり、ベテラン中心に勉強してネットで歌仙を巻いたり連句界で活躍していた。国民文化祭でも毎年そんな連衆を眩しく確認する。ネット連句は一般社会と連句界をつなぐドアのひとつかもしれない。

KUSARI連句の途中性

 スタート三年めにKUSARIは「平成連句競詠」(俳諧寒菊堂)のインターネット連句賞を頂いた。「不特定多数の人が付けるという連句文芸の社交的性格をもつ」「連句人、超初心者もわけへだてなくネットならではの座を構成している」「日々の思い現代の世相がリアルタイムに映し出され」「インターネットの匿名性の海に漂いながら対話の詩を実現している」との評は過分であるが連衆の励みとなった。
 勿論出品したのは長いKUSARIのごく一部分である。

   12129 風はらみヤスクニ詣で乱か治か   たつみ
   12130  足踏んだ奴決して忘れず     わび太

に始まる12229までの百句を切り取った。面白いことにその「途中性」も評価されていた。そう、KUSARIの特性は途中性だ。1番目のブラックバスの句作りに発句の意識はなく、遙かな過去にある。で、今のところ私たちには挙句の意識もない。目前の画面に映る十数句の部分を見て、その尻尾の句に、日々ただただ付けてゆく。
 笑ってしまうのは、これこそ正岡子規が連俳を弾劾した主な理由だから。

 「発句は文学なり。連俳は文学に非ず、故に論ぜざるのみ」
 「ある人曰く連俳に貴ぶところは変化なり。変化は則ち文学以外の分子なりーー」(芭蕉雑談) 

 KUSARIは発句以外の部分の転じて流れる変化によって存在価値を主張している。そして「文台引きおろせばすなはち反古なり」(三冊子)でいう即吟付け句のリアルタイムの面白さ。それは連歌・連句だけのもつ特性である。

  「連歌は思ひよらぬ方へ移りもてゆくこそ興ある物なれ」(宗牧教書)

に身を託して流れるわれら現代人。

   26210  テーブルの上滑る絵葉書       カンちゃん
   26211 吹く風に秋が近いと知らされて     桂 
   26212  やさしく馬を洗う少年          小晴 

 途中でも面白いんですよ! このノリで03年秋には「とよた連句まつり」の特別募吟で「すてきな三句」をしてみた。連句作品の三句のわたりのひき抜きの鑑賞である。古来珍しくはないが、これも一般社会への連句文体発信のつもりだった。全国連句人が多様な形式の作品から抜いた1169組の三句の花束はさすがに質が高かった。連句界の先達諸氏の選における連句観も勉強になった。雑務に追われた主催者側の役得である。
 KUSARIはかくて途中を生きてゆく。そう、人生みたいに。

   44378  万博日和リニモに乗って        ばらずし
   44379 あてもなく引っ越してゆく狸たち     ザリ
   44380  私あなたの何だったのか        ひわ

十一年目の九万番への旅

 今年で十一年目。この連句は実にさまざまな人と、出会い、別れ、句をつないで増殖し、、過去から未来へ時間軸に沿って伸び、2010年の一月現在、九万番へと迫っている。
 これまで参加のハンドルネームは五百人近くが記録されている。最近付け句千句達成を宣言した猛者もいる。一日に平均二十数人が運営上は適度なところだ。キリ番のイベントの賦し物百句だと一日六十番もいって盛り上がるが、普段は三十人以上集中すると、ぶつかり合って句もドボン(後から付けた人の句が落ちること)が多くなりお互いの人格も見えなくなり、連衆心が薄れるのではないか。
 この十年ほぼ皆勤の私はじめスタッフと常連さんたちは長い旅をしてきたように感じている。連衆は微妙に替わってきている。ちょうど旅でしばらく同行したり、離れてまた会ったりするように一座は流れている。不思議に新しいメンバーがいつもいる。そのハイの熱と、新鮮な個性が、古い常連のまじった流れに刺激を与える。そして何より世の中は日々変っていく。それでタネが尽きることなくKUSARIは続いてきたのだと私は観察している。

    53856 荒れ狂う海の色したタイ結ぶ      暢
    53857  近くて遠い半島の国          あづさ 
    53858 まだ熱が38度で動けない        氷心     

 五万句に達したときに新聞の取材がきた。「西鶴は独吟一日二万五千句ですから数で誇るつもりはないんです」と言ったら「しかし記録を読んで見るとこれは庶民が毎日24時間の思いを句にしてるんですよ。共同でつくる庶民史じゃないですか」記者氏は毎年度の大ニュースを資料として持参し「みんな句になってましたよ」と言った。
 社会意識の程度が測られそうで、プレッシャーだがこれは連衆に任せるよりほかはない。

    62927 研ぎたてでキャベツタマネギ真二つ  道草
    62928  スパッカナポリに響く靴音        風
    62929 旧市街世界遺産に指定され      ひわ

 連句には連衆の感性、生き方、哲学があらわれる。日常がふだんは平凡であったりいきいきしたりするように、KUSARIの流れもときにスムーズ、ときに停滞、そしてときに感動がある。仲間のいる部屋にきてのコミュニケーションは「いま共に生き互いの一句を大事にする」ことに尽きる。その結果としてこの世をつづる庶民詩になりきれるかは私たちしだいである。
 今朝もパソコンを開く。真夜中一時に付けていた人がいる。それに六時の早起きさんが、もう付けている。

1月25日(月) 01時27分16秒)
  88250 お守りをふところに抱く受験生    氷心
1月25日(月) 06時40分56秒)
  88251  制服の子で車内満員    キリマンジャロ      

ああ、いまごろそうだろうなと思いを馳せる。で、次の作者。ご出勤前にまあ。

1月25日(月) 07時47分06秒
  88252  朝焼けの富士の大きな影動く    ふさ子

 現実から脳をぐっと外へ向けようとした動きを感じる。これが連句空間。さてKUSARI、お前はどこまでいくのか?
とりあえず今日が始まる。 

(ころも連句会・webめぎつね座)
*新聞付け句引用は中日新聞・東京新聞より。その他の作品はインターネット「矢崎藍の連句わーるど」より。