日中連句報告(上) 扉開く心輝く 矢崎藍( 2001/06/25 中日新聞夕刊文化欄)

asyu.jpg「中国へ行って連句しましょう」 近藤正 成蹊大学教授に誘われた。
「私、中国語全然だめですけど」
「藍さん、アメリカで辞書ひいて連句捌いてたじゃないですか」
 そうだった。八年前彼について行った北米連句ツアー。初めて経験したバイリンガルーー英語と日本語の連句行。あの刺激的な空間がよみがえる。 
  中国といえば、日本との国交回復後、俳句界短歌界との交流から、「漢俳」(五七五字))「漢歌」(五七五七七字)という詩型が行われている。
 古くは聯詩という「付ける」詩の伝統もある。連句への関心も高まり、五月三、四の両日、北京大学で中日詩歌比較研究・中日連句研究大会が開かれるという。
――かくてこの五月、私は黄沙でけぶる中国大陸にいた。
 詩人たちと労働節の連休でにぎわう泰山に登り、孔子の故郷曲阜を訪れる。今でこそ教科書に論語の文章も載っているが、孔子の墓石も碑も文化革命の時にハンマーで割られた痕を残す。その前で、紀元前からの中国激動の歴史を思いつつ立つ、現代日本の女の私。
 孔子さん、この世の中どう思います?

   1   黄沙茫々子に問う二十一世紀     藍

同行の鄭民欽さん(北方工業大学教授)に中国語で付け句してもらう。
「七字で」と近藤さんが注文。
  二人は北京での実作大会へ向け、連句の中国語の字数を検討中だ。
日本語の長句五七五は中国語で五五の十字、短句七七は七字でーーが試案である。

    2     流水如斯楊柳風         鄭民欽

 書き下し文で読むと「流水かくのごとし楊柳の風」
―――論語の「逝くものはかくのごとし」をうける。時は流水のごとく、いま柳が風に青々となびいている。
うまい! 中国大陸初めての日中連句、これで行けますよ、絶対。
 大会初日の三日。午前中に近藤さんの基調講演「アジア連句のめざめ」と、研究発表。
 昼食後に実作に入る。会場は東方研究中心。大学構内の未名湖のほとりで、赤い門に藤の花が豊麗に咲いている。
 中国側からは研究者、詩人など40数人。連句初めての人ばかり。
日本からは14人。重い机を動かし、日中混成の五つの座にわかれる。
 各座の捌きは近藤正、土屋実郎(連句協会理事長)中尾青宵(同常任理事)浅野黍穂(同)の皆さんに私。
 私の座はね、若い女性が多い。
 連句の説明がてら孔子廟での二句(発句と脇)のあとを続けてもらう。

    2 流水如斯楊柳風             鄭民欽
    3 ニーハオとぶらんこ友と漕ぎ出して 引地冬樹

 まず冬樹さん(連句協会常任理事)が軽い句を付け、中国の女性たちにつぎの句を誘う。
 私の隣の戴さんは日本語の先生。「ぶらんこーー私の子どものころのことでいいですよね」と遠い目になる。

    4  媽媽(ママ)が作った白い連衣裙 (ワンピース)  戴秋娟

 白がすてきだ。 つぎは月の座だと説明をしたら、大学院生の亜秋さんが「常娥」をいれたいという。

    5 常娥舞長袖十五月光明        張亜秋
        (常娥舞う十五夜の月なお明かく)

  常娥は日本の季語集にも出てくる。夫が西王母からもらってきた不老不死の薬を盗み、月に逃げた仙女だ。
 「皆さんもこの場合夫をだしぬいて逃げる?」ときいたら、いっせいに反対の声。で、つぎはね、

    6  不老不死より選ぶのは彼      竹川広美
    7 ちょっと風邪おでことおでこくっつけて 河口妙

 若い恋人たちの話になりました。
こうして三時間余、中国語、日本語混合の二十韻「二十一世紀」の巻が挙がる。
 お昼に初対面の挨拶をしたと思えない、別れ難い懐かしい仲間たちの顔、顔。ね、これが連句!
各座も巻きあがり、未名湖から吹く風が改めてさわやか。
五巻の作品は続く翌日の大会で発表され、近藤さんは「日中連句の門が開きました」と力強く講評した。
――ああ、また連句を通じて人々の心が輝くのを見た。
言語、国籍をこえて人は心でつながるという確信。21世紀、また楽しからずや。

huji.jpg朱の扉開けば匂う藤の花      妙
     中日連句抒情懐    大野広之

二十一世紀の巻連衆の記念撮影
 妙・冬樹・藍・茂翁・広美・亜秋・広之
(秋娟さんは学界で通訳のため途中退席)

kogeeyes.jpgやざきあい(桜花学園大学教授)
東京都生まれ。お茶の水女子大学卒。連句協会理事。著書に『ああ子育て戦争』『みもこがれつつー物語百人一首』『平成付け句交差点』『おしゃべり連句講座』など、本紙文化面に「付けてみませんか」を連載中。愛知県豊田市在住。ホームページに「矢崎藍の連句わーるど