『インターネット一夜』1999.7.17 No.4

otya.jpg夜中にパソコンを開く。
 
県警本部の陳謝うつろに                  蕗

 という句! 続々とまずい事情が発覚しているときである。私のホームページには、24時間、連句がつながっているので、こうしてたった今のニュースも、575句か77句ではいってくることがある。(因みにこの句は鎖の2886番めの句。1年も続いている長い連句だ)
 次に続く句はーー。  

囚われの身の十年のひと昔               やまと

 あの事件である。女として親として誰しも他人ごとではない。そのつらさがこの句の表現を婉曲にしているようだ。やまとさんは女性だろう。仕事途中だったので、そのままパソコンを閉じる。
 寝る前にまた開いた。2時すぎにこの句への書き込みがある。新潟県から。――マスコミの報道にひどく胸を傷めていること。警察の不祥事には呆れるがその結果「世間の関心が彼女から少しそれたことは救い」とある。同感です。この発言者は以前に「パソコンに向かうとすぐ赤ちゃんが泣く」と書いていたから、若いお母さんのはず。それくらいのことしかわからないのがインターネットの人間関係であるが。
 結局句は付いてない。そう、私も付けられない。
 連句は即興の才でうまく付けるものと思われがちだ。でも、実は、いかに誠実に前の句をうけるかが大切なのだ。こういう句は、真夜中の強い感情で付けないほうがいい。私もね、お休みなさいをいおう。  
さて翌朝。といっても私がパソコンを開いたのはお昼だった。次の句は午前十時すぎに付いて、あとがつながっている。

(囚われの身の十年のひと昔 )
 雪の下にもいのち芽吹いて               たつみ
誰がために薫るのだろう野の花は          カンちゃん

 ほっとした。春の日差しが差している。野の花は、誰も独りじゃないと、香っている。話をそらしたわけではない。ひそかな祈りである。はかない言葉に何ほどのことができようか。わかっているけれど、祈りたいときがある。共に。――連句は時にこうして付け、語る。
 たつみさんは、確か70代、カンちゃんは20代、男性であるとはわかっている。
会ったことのない人たちが電子文字の句で会話するインターネット。はかないけれどきまじめな、ひとこま。

(やざきあい作家桜花学園大学教授)