招待席Ⅰ 歌仙ing「パンドラの函99」の巻 山猫vsめぎつね

ホームページ開設の折にとりくんだ、山猫先生こと片山多迦夫氏との文音歌仙実況報告。旧仮名遣いで、蕉風の伝統式目、作法をベースにする正統クラシックです。しかし内容は、あくまでも現代人としての表現をめざしています。さあ、古い革袋に新しい酒は盛れるのか?
校合と作品は最後にあります。長いので進行中も印刷して読んでくださったかたも多いです。

治定作品:歌仙「パンドラの函99」の巻

■歌仙「パンドラの函99の巻」

(1998年十二月二十八日起首 1999年四月九日満尾)

◆1 発端 (そもそもの話・発句・脇・第三、4句めまで)

そもそもは1998の歳末のことでした。私は年賀状の歳旦三つ物(*年始挨拶の三句の連句)を考えていました。

パンドラの函あけましておめでとう      藍

という発句にしようと思いました。ーー最近あちこちで先が見えないのなんのというけれど、われら人類、自分で獲得した科学技術、複雑化した社会を、自分で使いこなさなければならないときを迎えたんですよね。頼れる神はなく、人類の自己責任の時代!開けたパンドラの箱、受けて立とうじゃないのよ。へっへ、めぎつねはまじめなんだぜ。そのわりに駄洒落であるとこもめぎつねふうな句でしょう。ところが、年賀状に書こうとするとつぎの脇句がどうもうまく付けられない。

パンドラの函あけましておめでとう      藍
 初凪の海出づる船影            々

ではどうか。とにかく99年の海へ出たいのですけど、いまいち自信がなく、蕉風俳諧の大先達にFAXで教えを乞うことにしました。

◆2 翌日

摂洲山猫庵片山多迦夫氏からのお返事

「体調いまひとつ整わず、ほぼ庵に籠って方丈記など読んでいます。三つ物なるもの私は試みたことありませんし、いま総じてまじめに鑑賞できる作品はありません。お笑いでいいのでしょう。なにしろ、逝く年はベートーベンの第九を、新年にはうららかな琴の音をたのしむという国民性ですから。アッハハア。ーーしかし、パンドラの箱を生かすとすれば脇句が穏やかすぎるのをいかんせん! 1999年ですよ!」

 やっぱりそうだ。この脇おとなしすぎるんだよな。ーー、しかしキビシイ三つ物批判の語調のおかわりなきこと。ーーと思っていると追いかけてピーヒョロロ。

パンドラの函あけましておめでとう      
 '99年出航の銅鑼

としては如何。またまた老婆(爺?)心ながら差出がましきことを! 良い年を迎えて下さい」

◆3

 なるほど。銅鑼か。これは背中をひっぱたかれそうな迫力。でも、実はこれでめぎつねの連句の血が騒ぎました。三つ物作りはやーめた!
山猫先生。まためぎつねと文音の歌仙で遊んでくださいよー!めぎつねをしごいておくと後世のためですよー!(とまではいわなかったが)ーーお願いすることにしました。発句、脇の不穏から転じる第三はもう考えてありました。

 99年出航の銅鑼
乳あまし眠る嬰児やすらかに     藍

 責任と緊張感のある出航にも、母親に抱かれた赤ちゃんは安らかに眠っています。「乳あます」はおっぱいを飲み足りた赤んぼが口もとに乳をのこしている状態。さて、山猫先生には、勝手なめぎつねの、はしたなきお笑い発句での文音申し込みに御受諾ありや否や。FAXはすぐ返ってきました。

◆4

「山猫通信」参州めぎつね様(12/28)

 「パンドラの函、戯れに付け申しそろ。ーーー今年は連句さぼるだけさぼって、現在東明雅宗匠と風交中の一巻のみ。自律神経失調症と自己診断していますから、気儘な付け方でご容赦。

(乳あまし眠る嬰児やすらかに        藍)        
    第四試詠 
いくら負けても阪神ファン
落花を誘ふ雨のしとしと  
玻璃戸いっぱい風光るなり
芽吹く木末に月のかぼそさ

第四に花と月詠むべからずと誰か言った?」

こうして歌仙「パンドラの函」の巻文音は始まりました。山猫先生とですから旧仮名遣いの蕉風俳諧であります。上記のように、3~4句の候補句を付けて送り、相手はその中から1句選んで、また3~4句付けーーと言う形で進行します。
 そして、この歌仙をホームページに載せることも新年にFAXでお願いしました。.

「山猫通信」参州めぎつね様(1/2)

「おめでたう! FAX拝見。  インターネット上のホームページで現在進行形の俳諧の連歌をリアルタイムに公開するなんて企ては、またおそろしいことを思いついたものです。尤も私も十五年若ければ案外率先して丁々発止とやったかもしれませんが、いかんせん寄る年浪です。お好きなように!」

この「寄る年浪」ってーのが油断がならないお相手なのであります。めぎつね、精神パワーだけは負けるまいぞ。

◆5

「めぎつね通信」(2/7)

――さて、いただいた4句め拝見。なんと過激な! 風光るまっ昼間につぎの月の座を付けよとか。なかんずく4句めに花をひきあげるなんて。今の連句の常識ではそうあることじゃありません。わかってます。文学に「かくあらねばならない」はありえないーー。そうおっしゃりたいのでしょう? それに、前句の赤んぼうの甘さには窓の外の花の雨のしっとりがとてもいいんですよね。せっかく(芭蕉―北枝―希因―闌更―蒼□(そうきゅう)―芹舎―凌冬―芦丈―瓢左―多迦夫)と伝統俳諧の系譜をつぐ山猫大先生がお付けになったのだから、しめた! こういう冒険のチャンスを逃がすてはない。ゆえに落花をいただきます。さて、それで五句めですが。月の座です。でも、前句で雨が降ってて、どうやって月の情景を付けましょう。しかも春にしなきゃ。制約だらけ。――しまった! これはどうやらーー山猫の罠にはまって朧月――。

(落花を誘ふ雨のしとしと         迦 ) 
   五句め付け 拙案
 宵闇に祝賀パーティ灯の朧

CGの月おもしろき弥生尽―コンピュータグラフィックスの月です。
オレンジの満月ナイフで切り分けて にせものの月なら駄句いくらでも。四月馬鹿やってる奴と月見蕎麦!――なんちゃってね。
 インフルエンザが猛威をふるっております。お風邪召しませぬよう。

*「花をひきあげる」ーー花を定座より前に詠んでしまうこと。一般に月はよく動かされるが、花のひきあげの例は少ない。

◆6

「山猫通信」(2/8)

まさか落花の句は選ばないだろうとタカをくくっていたら、果然めぎつねの逆襲に逢ってびっくりした山猫です。逃げるべからず。――しかし本来賞美の花の句とは一座の賓客、長老にもたせるべきもの。「花をいかが」と呼び出しをかけられて出てくるかたちが自然でしょう。
 そこで一策。第三の上五「やすらかに」を「暖かに」と改めて、春季とされたし。これで花の呼び出しがかかったことになります。第三も「暖かに」のほうがよりよいのではありませんか。

乳あまし眠る嬰児暖かに  (三春)   藍
 落花を誘ふ雨のしとしと (晩春)   迦
CGの月おもしろき弥生尽 (晩春)   藍
   第四試詠
人形芝居幕開くなり 
マリオネットは深く辞儀する 
マリオネットのお辞儀がっくり      迦

bye!

◆7

「めぎつね通信」(2/10)

なーるほど。第三を「暖かに」にすることで、4句めの花引き上げのバランスをとる。式目や伝統作法は、表面的に禁止事項として守るべき束縛として守れば、まるで学校の校則のような浅薄なものになってしまいます。でもその奥にある心に目をむければ、俳諧の座につらなってきた人々のあたたかい智恵を感じることができるのですね。はい、山猫先生のしっぽをひっかこうとしためぎつねはまだガキでありまする。――それに、こういう調整は、昔油絵の先生に教わったヴァルールなんて言葉を思い出させます。色調――というのか、強いカーマインレッドを1カ所置いてから、おなじ筆をちょいとほかの部分にも置いてバランスをとるような。
――こうして表六句をふりかえると、パンドラの函という殺風景からのはじまりが、春、花の情緒でうけとめてられて、ほっとしております。そして「人形芝居幕開くなり」ーーは、つぎのページへのドラマを促す、まさに折端(おっぱし)らしい句ですね。

人形芝居幕開くなり        迦
   ウ1(折立)拙案
こなさんがお江戸へゆくは仇討ちか

半分が毒の林檎はいかがですーーあ、林檎で秋になっちゃいますね。

鐘が鳴る王様の耳は驢馬の耳

ここまで三句は人形芝居の舞台の上。浄瑠璃か、西洋の童話か。

両首脳(党首)またも抱き合う園遊会

政治はしょせんあやつり人形。しかし党首じゃまったく美がないですね。前句にもうしわけないような句ばかり。ダメでしたらお返し下さい。三河は雨です。すこうし春あるここちのーー。

◆8

「山猫通信」(2/12)

CGの月の次の拙句「人形芝居幕開くなり」―――これは発句の「あけまして」脇の「出航」と絡むようなので、「人形芝居幕揚がるなり」と改めます。
さて、この句へのあなたの付句ですが、

(こなさんがお江戸へゆくは仇討ちか)

の句、稍、前句にはまった嫌いはあるけれど、面白いからこれをいただくこととして、

初裏2句目  拙 次
着のみ着のまま急に旅立つ
同期の会へ罷るひげ面
武者ぶるいして風邪を惹きこむ(三冬)    迦

bye!

◆9

「めぎつね通信」(2/14)

きのうようやくわが家の白梅が2輪、ほころびましたのに、きょうはひどく冷えこむ一日でした。ひげ面さんは昔のいじめの仇討ちなんですか。いまはでっかいおやじさんですね。

(同期の会へ罷るひげ面    貴)
 拙次(ナオ4句め)
 蛤の鍋の最後は雑炊に(三冬)
 湯豆腐が煮えてとつとつ裏話(三冬)
 雪暗れのスナック赤い革の椅子(晩冬)ーー二次会です。

冬の句ばかりになってしまいました
ーー(読んでくださってるかたへ)この蛤鍋は鯖氏の料理からです。ごらんになりたいかたは「蛤の湯豆腐」をクリック。今夜の献立におすすめ!

◆10

「山猫通信」(2/15)

寒い寒いとつぶやきながら、朝8時ごろ山猫庵を跳びだして、近くのさつき山(標高300mくらい)のふもとを散策してきたところ、ファックスが届いていました。この冷たさで、おのづから雪の付け句ご尤。

初裏3句目
雪暗れのスナック赤い革の椅子   藍
   拙 次
トカチョフさんとウォッカを飲む
(トカチョフは私の分身のつもり。ふと口をついて出た名前です)
単身赴任熱燗の仲
葱鮪の汁の湯気も香もよし
今は名のみの鰤起し鳴る

足助の三郎さん曰く「一年過ぎてからがほんとうの服喪なので、これからが寂しいのだよ」と。蓋し、至言なるかな。 

◆11

「めぎつね通信」(2/17)

「私のとても好きな片山あさみ詩のひとつ。

       水
    わたしは水
    誰もわたしを抱きしめることはできない
    両の手のひらの掬われたその瞬間に
    滴りおちる 

    差し出された器を
    素直に満たし
    ひとたびグラスが割れると
    もうかたちなどなくなってしまう

    たくさんの川を通り
    遠い海へ流れていき
    わづかな風にも
    波立つ
    わたしは水
     
(片山あさみ遺稿詩集「ボタンをかけまちがえた天使」より)

捨象され透き通った詩の世界から現実に戻ると、現実は総天然色の修羅と冗談。連句は、詩と現実とのあわいにぶらさがっているーーなどと、―――いってもよいものかーー。

   初裏3句目
 トカチョフさんとウォッカを飲む  迦

トカチョフさんが山猫分身なら、『わたしは水だれも抱きしめられないと』ーーしか付かないのですけれど。めぎつね仕方なく頭をしぼり駄句献上。
トカチョフさんと飲むのならやはりロシアのほうの旅なんでしょうね。

   拙 次
青年の荒野よぎりし女ありーー五木寛之。
砂丘また砂丘のバスに身を揺られーーバスの中で隣の席のトカチョフさんと意気投合。
生涯の恋を墓標に彫り終えてーートカチョフさんのうち明け話。
火口湖に幻の魚釣り上げむーートカチョフさんって冒険家なのかほら吹きなのか。       
 

◆12

「山猫通信」(2/19)

 トカチョフさんとウォッカを飲む   迦
火口湖に幻の魚釣り上げむ       藍
   初裏6句目試詠  
樹林の上に虹の半円           
あちこちひびくけら(啄木鳥)の顫音   
沢登りする素手と素足で
まさかと仰ぐ青天の雷

ところで、初裏1句目から読み返してみて、「こなさん」という愛情めいたものにひげ面は充分応じていない憾みあり。よってその際の拙次の「武者ぶるひ」の句を改めて恋句に仕立て直し。

武者ぶるひして男恋する        迦

としたいけれど如何?          以上。

◆13

「めぎつね通信」(2/20)

了解です。こなさんーーで,誘惑しきれなんだはわちきが無力にて――(^^)ーーいいえ、実は昨年来文音もとだえ、(明雅先生とはなさっていらっしゃるのですね)静かなお暮らしを、めぎつねめがかきまわしているのではないかと、もうしわけなく存じましたしだい。ほっといたしました。
 さて。

火口湖に幻の魚釣り上げむ     藍
 樹林の上に虹の半円       迦
   拙 次(初裏7句目)
団塊といはれ団地の十二階
引っ越しの荷からこぼれる文庫本
少女ありかなしいときのレース編み
フルートのデュエット追ひつ追はれつつ

月の座ですが前句に虹をいただきましたので、こぼしました。

*「月をこぼす」ーー月を定座(じょうざ)で詠まず、あとにすること。

◆14

「山猫通信」(2/20)

 樹林の上に虹の半円          迦
フルートのデュエット追ひつ追われつつ  藍  
    (下七すこしぎこちないのでは)
   裏八句目付け句
8,15鎮魂の日ぞ
胸疼くらん修羅の八月
平和叫べど血の匂ひする
八月悲し原爆の忌に
名残惜しくもカデンツアの時
以上

◆15

「めぎつね通信」(2/20)

フルートの句、きれいな視覚にきれいな音をいれたつもりでしたが、下句がきれいではありませんでしたね。
直します。

(樹林の上に虹の半円)
フルートのデュエトやがて透き通り
 8,15鎮魂の日ぞ          迦

終戦記念日は歳時記では初秋ですね。私はまだ小学校にあがる前で疎開先の長野県松本市にいました。暑い日、家中がラジオの下に集まったのは覚えています。父が出征していましたし。

   拙 次
新宿の雑踏に月見る人も
地下街を出でて舗道の月明かり
南京に一兵卒の父の月          藍

――父は南京ではなくインパールでした。ここはインパールですと樹林の風景が似てしまうような気がして南京にしたのです。南京の地名は重すぎますか。でも、あの戦争の鎮魂は、日本人に対してだけではないですものね。


◆15

「山猫通信」参州めぎつね様(2/22)

南京に一兵卒の父の月    藍

これは過去形にしないとおかしいことになります。

   名残表10句目拙次
ひたすら紅き柿を剥きつぐ
ぎゃっと啼くのは樫鳥の声
鎌祝とて作る牡丹餅
芋煮会には猫も烏も

以上。

◆16

「めぎつね通信」(2/23)

私は前句が「8,15鎮魂」なので、終戦時点の戦地を付けたつもりでした。「そのころ、南京では一兵卒であった父が月を見て故郷を思っていたのではないかーー」と。月は投げ込みですけれど、「――の月」は、(中国が舞台だし)望郷の月となるであろうと考えたのですが。
あ、でも、そうですね。確かに複雑すぎます。
鎮魂している今の時点で次の句を考えなくては。つまり述懐にすべきということですね。

月のぼる父亡きことに子は馴れず

ではいかが?

「山猫通信」(2/24)

月のぼる父亡きことに子は馴れず

決して「馴れる」ものではありません。「触れず」では如何。母子の対話中、ふっと亡き父のことを思って。

◆17

「めぎつね通信」(2/24)

やっほー! 実はそれがいいたかったんです。めぎつねはなんて舌足らずなんでしょう。私は子どものときからずっと、「大人たちは私が父の亡いことに馴れていると思っている」ような気がしていました。もともとごくわずかしか父と暮らしていませんし。ところが(おっしゃるように)決して馴れない。馴れない。――ただ、それを言ってはならないのです。母が「父がない不如意を子に味あわせたくない」とがんばっているのを知っていたからです。そう。「触れず」です、ここは。ありがとうございます。

月のぼる父亡きことに子は触れず (三秋)
 ぎゃっと啼くのは樫鳥の声   (三秋)

樫鳥って懸巣のことですね。鎌祝いは稲刈りの祝い。街っ子の私は歳時記の説明を読んでようやくなんとかイメージを作りました。
つぎは本来花の座ですが、オモテにひきあげたので、正花でない秋の花でいいのでしょうか。ぎゃっという声が聞こえるので、怪しい雰囲気ですね。でも、戦争や述懐からはいっしょうけんめい離れましてーーー。

   初裏11句目拙次
シャガールのウエディングブーケそぞろ寒
ゴッホゆく花野のはてのまた花野
背徳の館の正午紫苑咲く
判決のおりる法廷秋薔薇          藍

よろしく。

◆18

「山猫通信」(2/25)

お尋ねの花の座。初表(オモテ)に私が引き上げたばかりにご苦労をかけました。こういう場合、植物(うえもの)の花なら何でも賞美に値するものを付けよとの先師の教えあり。私が付けるとすると、桜の句を詠んで春季に移ったかもしれません。連句がおもしろいのはこのあたりです。

背徳の館の正午紫苑咲く    藍

なんとなく不気味さを感じる庭園の昼に「紫苑」はよく効いています。
ただ、オブザーバーの足助の三郎さんからは、鎮魂の次に、亡き父、その打越(ウチコシ)に
背徳の館ときては、ますますわからないと言われそうですが。――アンドレ・ジードに聞いて頂戴と逃げますか。

   初裏折端及び名残表折立て 試詠
1 庭番が来て色硝子拭く     
 くらがりのあの彫刻はロダン作
2 柱時計の振子ゆっくり
 金革を打って装幀できあがり    迦

*歌仙の半分にきたので(片方が二句続けて付けて)長句、短句を交代する。漁り場(あさりば)。

◆19・20

「めぎつね通信」(3/2)

アンドレ・ジードでいきましょう。庭番っていうのが曲者で、おまけに色硝子ときましたね。こういうのは恋句とはいわないけれど妖しい雰囲気がありますね。

   初裏折端・名残表折立 
 庭番が来て色硝子拭く      迦
くらがりのあの彫刻はロダン作   々
   拙 次
考えすぎてまた何もせぬ 
顎を支へる腕がしびれる
偽とはいはぬこれは複製
ユーロ換算旅の電卓
律儀にたどる史跡案内

いつもファックスで原稿をお送りしていて、インターネットの画面を見ていただいてないので、ここまでのカラー印刷を郵送いたしました。ご覧下さい。

◆21

「山猫通信」(3/4)

・ウラ10句目 上七 「啼くのは」→「啼きしは」と訂正
・前回句 上七  「くらがりの」→「どう見ても」と改めます

どう見てもあの彫刻はロダン作     迦
 律儀にたどる史跡案内        藍
(館―庭――と既に住居の体と用が続いているので、「史跡」の「跡」がちょっと気になるところ)。
   拙 次
鞄には電話電卓電子辞書 
悠久の大河と万里長城と
不眠症とて携帯の旅枕         迦

ホームページのキレイなコピーありがとう。一応再読して気づいた点を忘れぬうちにFAXしておきます。なお、折端・折立という言葉は折(懐紙1枚)が替る移りの句のことで、表と裏の移りで使うのは誤用です。歌仙では1回、百韻では3回出てきます。しかし世間での誤用は多々あることですから、特に言うことではありませんがーー。以上

*体(たい)と用(ゆう)ーー題材の詞に関する連歌用語。体は基体概念、用は作用、働き、属性ヲ表す詞。
  水辺(すいへん)の体は「海、沼、川」など。用は「浪、魚、舟」など。住居の体は「家、館」など。用は「庭、カーテン、玄関」など。

◆22

「めぎつね通信」(3/4)

まちがい字があってもうしわけありません。ご指摘のぶん直しました。ただ 5(2/7)の5行目「蒼虻」は虻ではなく、みずちでしたか。ご指示の字がパソコンで見つからず、しばらく「蒼□(そうきゅう)」にしておきます。そのうちなんとかしたいと思います。
 折端(おりはし)、折立(おりたて)の世間での誤用――私もその中にいて疑問ももちませんでしたが、考えてみればそうですね。明雅先生の『連句辞典』(東京堂)でもお説のとおりで、一般には表と裏の移りの呼称にも使われること。その際は「おっぱし」「おったて」という人もあるーーなどとありました。
「折立(おったて)は格調高く」とよく聞きますが、これも世間の誤用の中でのいいかたでしょうね。――これからは気を付けて厳密に使いたいと思います。
 史跡案内→「跡」をとって、歴史案内とします。

 律儀にたどる歴史案内       藍
鞄には電話電卓電子辞書       迦
   拙 次
ベイブリッジに車渋滞
街の芥をおし流す川
海べりの街つつむ土砂降り
一匹狼ですと長髪    (この狼は冬?)

よろしく。

◆23

「山猫通信」(3/5)

 一匹狼ですと長髪          藍
   名残表五句目 試詠
サッカーの人気日増しに加熱して
ブランドのネグリジェなんと500弗
焼芋はとっても熱い贈り物
キカセテヨワタシハタダノショウフナノ?

以上

◆24

「めぎつね通信」摂州山猫様(3/8)

ちょっと東京へ行って留守をしていました。

キカセテヨワタシハタダノショウフナノ?

やや。これに現代主婦ものを付けたくなりました。

   拙 次
主人に抱かれ風を聞く夜
(――「主人」といういいかたにこだわったのですけれど、理屈かな?)
夫に抱かれ風を聞く夜
   のほうがすなおか。。
トースト焼けば愛と憎しみ   
シーツの上でふたりメロンを
噴水広場待ち人は来ず           藍

「山猫通信」(3/9)

1 裏4句め「トカチョフさん」の「さん」を削りたい。(大打越に「こなさん」あり)   

 ウオッカ好きのトカチョフと酌む

2 初折裏12句目の庭番に始まって人事句(いわゆる人情ありの自、他、自他半と、その会釈の句)が7句~8句ときれ目なく連続したこと、多少意識した点はあってもうまくできあがり満足しています。1巻の山場でしょう。

「めぎつね通信」(3/9)

1ですけれど、私は「トカチョフさん」がとても気に入っています。「さん」がついているので「素性を知らない」「嘘っぽさ」が」出て俳諧と思いました。だから火口湖の幻の魚なんてほらもふけるので残念です。私の「こなさん」を変えるてもありますよね。全体が終わっての校合のときまで考えさせてください。 

◆25

「山猫通信」(3/10)

昨夜落掌した付け句について。
主人と夫は、前句の夢気分から言っても具体的に出さない方がよいでしょう。「風を聞く夜」はあなたらしい表現ですがーー。

 トースト焼けば愛と憎しみ   藍

の新鮮な感覚をとりたい。

 愛と憎しみトーストの朝

ではいかが。

   7句め試案
玻璃戸より五月の街を見はるかし
なつかしの映画「麦秋」観たるころ
むくむくと入道雲がたちあがり
土曜にはすっかり空の冷蔵庫

以上

◆26

「めぎつね通信」(3/11)

私のトーストの句ーーどっちがいいでしょうね。

(キカセテヨワタシハタダノショウフナノ)
 トースト焼けば愛と憎しみ
 愛と憎しみトーストの朝 

私はダイニングキッチンでトースト焼いて(テーブルにいる夫または愛人に)むらむらする女の自の句のほうに実感がありますが、トーストの朝とすると、男女向き合ったホテルの朝の可能性も出てきますね。場面を特定するか、普遍性をとるかは、連句の表現でよく迷うところです。朝でしてみましょう。  
さて、いただいた「玻璃戸」の句と「入道雲」の句を眺め、こういう句が付くんだーーとしばしうれしさに浸っておりました。ことに複雑な心境と対照的に、見はるかした窓の外の五月のさわやかさ! でも、すこし前(18)で、庭番が色硝子を拭いているので、入道雲のほうをいただきます。

 愛と憎しみトーストの朝      藍 
むくむくと入道雲がたちあがり    迦  
――暑くなりそうな日ですねえ。
   拙 次
本祭りとて太鼓とどろく
蝉の領する議事堂の門
よい子はここで泳がないこと
草いきれして発電所跡        藍

よろしく。

◆27

「山猫通信」(3/14)

むくむくと入道雲がたちあがり   迦
 本祭りとて太鼓とどろく     藍
   名残9句目試詠
この不況相撲人気も翳り見え    
若きころ流し名人と囃されて
ともすれば下町育ち血が騒ぎ
俳諧と茄子 漬けように口伝あり  迦

以上

◆28

「めぎつね通信」(3/17)

梅が盛りをすぎて散りはじめました。卒業式と入試がすみましたが、ちっとも仕事がかたづかぬまま新学期に突入してしまいそうで、やや焦り気味です。焦っても焦らなくても、やれることしかできないんですけどね。

俳諧と茄子 漬けように口伝あり    迦
 短気は損気あしたは天気       藍

はっは、何いってんだか。トーストに近いから茄子漬けやめときます。私はすぐ駄洒落におちいりますし。   

 本祭りとて太鼓とどろく       藍
この不況相撲人気も翳り見え      迦
   拙 次
箪笥預金を狙う盗っ人

いけない。相撲は季寄せでは秋でしたっけ。サッカーと一緒で、季節感がなくなりました。ちょっと場所が多すぎますよね。

箪笥預金を移す長き夜
おいら蟷螂脚は細いが
つくつくほーしいお客がほーしい
桐一葉落ち首相黙然
異国の客に強いるからすみ
あぶれ蚊ひとつ叩き損なふ      藍

駄句ばかり献上。

◆29

「山猫通信」(3/19)

駄句ばかりとはご謙遜。箪笥預金、桐一葉、あぶれ蚊の付け句3句いずれも佳し。ここではあぶれ蚊をいただきます。

この不況相撲人気も翳り見え      迦   
 あぶれ蚊ひとつ叩き損なふ      藍   
   名残11句目  試詠
月と星と文学ありて夜は長し    
コメディアン化粧落として仰ぐ月
月あればこの島人は戸を鎖さず     迦

以上

◆30

「めぎつね通信」(3/24)

たいへんごぶさたいたしました。娘が昨日結婚式などあげまして、さすがに母狐、この1週間はしっぽを振ってうろうろしておりました。当日は見事晴天に雨が降りーーいえ、雲ひとつなく、妖しいことなく、まぶしい1日でございました。
さて、パンドラの巻のゆくてですが、どちらにいこうか迷ってしまいました。両方やってみましょ。

1案
 あぶれ蚊ひとつ叩き損なふ     藍   
月と星と文学ありて夜は長し     迦
   拙 次
葡萄農園落果芳醇     
林檎農家の納屋の軽トラ    

お隣の果樹園です。なにかゆたかなものが付けたくて。
  
2案 
 あぶれ蚊ひとつ叩き損なふ     藍 
コメディアン化粧落として仰ぐ月   迦
   拙 次
秋の叙勲を辞退できるか
もらってやるぜ文化勲章
天狗茸にはやはり猛毒

いかが?  

◆31

「山猫通信」(3/17)

やっぱりお嬢さんの結婚式でしたか。おめでとう。来春はとうとうめぎつねのgrand-maの登場と相成ります!
今日は北摂地方も久しぶりの暖かさで、猪名川上空に一羽の初燕を見ました。長旅でかなり窶れているのが可哀相です。それに紀三井寺から開花速報第一号の便りがあって、春はこれからずんずんと駆けてくるのですね。

コメディアン化粧落として仰ぐ月  迦
 天狗茸にはやはり猛毒      藍
   名残裏1句目試詠
穴賢 会者定離とは世のならひ
口車とび乗ったのが運の尽き
祀られて憤怒の相の鬼子母神
お悔やみの鳩は喪章を首に巻き

以上

◆32

「めぎつね通信」(3/25)

今日はなんだか呆然と過ごしてしまいました。白木蓮が満開を過ぎ、雪柳が真っ盛り、白い桃の花がほころびはじめて、ガラス戸の外の庭は白ばかり。雪が降っているような錯覚をおこす時期です。
しかし世の中は騒然。

 天狗茸にはやはり猛毒       藍
お悔みの鳩は喪章を首に巻き     迦
   拙 次
ベオグラード発こちら空爆
ミサイル発射白い閃光
ノックするのは運命の神
ハイビジョンにて映す空爆
久米キャスターが告げる空爆

B2ステルス戦闘機は実戦のニュースより前に、映画で見たことがあります。

◆33

「山猫通信」(3/26)

お悔やみの鳩は喪章を首に巻き    迦
 ノックするのは運命の神      藍
  名残裏3句目試詠
凍つる夜はベートーヴェンよりモーツアルト   
炉を囲む家族三代賑はしく
大家族炉端の席を紊すなく      迦
(冬はこの1句にて捨てられたし)

以上
ところであなたの付句はベオグラードをはじめ「空爆」の4句でした。何分にも焦眉の戦火のニュースだから、パンドラの函に1句くらい欲しかったけれど、打越の「猛毒」と、お悔やみを挟む輪廻の嫌いあり。残念ながら神様にしました。連句でのドラマトウルギーを構築することのむつかしさは百も承知でありながら、つい愚痴をこぼすーー毎度のことです。

「めぎつね通信」(3/27)

やっぱり空爆はだめでしたか。初折りのウラにも8,15の敗戦があり、なんとかいれようと、久米キャスターをもってきたのでしたが。
 前の句を「天狗茸とは誰の命名」――と直すのはどうでしょう。
しょせん歌仙の型式では現代を表現しきれないのだーーとおっしゃっているのではないでしょうね。

「山猫通信」(3/27)

天狗茸の句の改訂案では次句の「お悔やみ」を無視することになります。
なお、32「ベオグラード発こちら空爆」の付け句は奇抜でいいけれど、これだけのことを短句で表現するのは少し無理がある。「久米キャスター」はまだ歌仙で人名扱いできるほど熟していないと私は考えます。マスコミで有名であれば誰でもというわけにはいかないのです。
また、歌仙形式では現代を表現しきれないと考えているのか?の答えーー連句作品に現代を表現すること、望むところです。ただ、タイミングと場所という条件さえ許せば。
まずは名残の裏あと3句、おだやかに巻き納めましょう。校合は満尾してから。
追伸 ワインをふくみつつ

  今日有酒今日酔
  明日無銭明日憂

これは私の若いころの師匠が唐詩をちょっと改竄して愛唱していたもので、とっくに師の没年を超過した弟子が今もって口ずさんでいるのです。

「めぎつね通信」(4/1)

連句の表現の大きな制約は「時と場所」――歌仙の中の位置ですね。今回はそれに文音だという制約も加わりました。私は天狗茸の毒と空爆の打越は、だいぶ違うものだという感覚をもちます。むしろ、8,15がこの巻にすでにあるということのほうが気になっていて、空爆をこの巻に絶対必要な素材と考えているわけではありません。ただ、いつも表現するとき「自分の今」に忠実であることをめざしているので、できるだけの努力をしてみたのです。もちろん選択はお任せしております。
そうそう、久米キャスターの件。あの句は久米宏を有名人として古典素材の人名扱いしたのではありません。(トカチョフさんもちがうでしょう?)この一連の句で出そうとしているのは、戦争を映像とおしゃべりを通じて知ったつもりになっている私たちです。久米キャスターをその象徴と考えて出したのです。久米でなくても筑紫でも、いえ、山田でもいいのかもしれませんが、そういう意味で、いまの共感は久米だと思います。(私は「今の共感」をだいじにしすぎるとご批判でしょうけれど)

 ノックするのは運命の神      藍
炉を囲む家族三代賑はしく      迦
   拙 次
蕗の薹みな天麩羅にして
伊豫柑剥けば思い出すこと 
故郷の谷に守るかたかご
よちよち歩き水温むころ
残る寒さにゴミの分別

ステルスが撃墜されてしまいました。
--BBSに関連書き込みが3件(4/1)ありますのでお送りします。 

「山猫通信」(4/2)

炉を囲む家族三代賑はしく     迦
 故郷の谷に守る堅香子      藍
   名残の花試詠
ただならぬ霹靂を聞く花の空 
一炊の夢を見し間の花の雨    
壺中天しだるる花の下に臥し    迦

以上 
今日は生憎の花の雨ですが、昨日の満月はちょうど旧暦の2月15日、花の山の上に浮かび出てまさに西行の忌にふさわしい情景でした。歌仙の匂いの花をこんな時に詠み得るとは、俳諧師にとって幸せな経験です。呵々
挙句を待ちながらコメントすこし。
*テーマとして天狗茸が空爆と打越になると言っているのではなくて、
  毒→死←空爆 
と死を挟んでの観音開きともいえる因果関係になると危惧しているのです。
*久米キャスターの付け句については、作者がそこまで寓意されているとは思いませんでした。やはり短句といおう制約から表現できていないのでは?
*目下進行中のユーゴスラビア空爆の一句を短句でぜひ詠むとなれば、名残表12句めの天狗茸の毒の句を全面さしかえすることです。私ならそうします。校合作業の参考までに、ひとこと。

「めぎつね」通信(4/7)

しばらく東京へ行っておりました。でも、もともと挙げ句が悲しくて遅れがちなのは、往生際の悪いめぎつねの性にござります。

 故郷の谷に守る堅香子
壺中天しだるる花の下に臥し     迦
   拙 次
老虎のあくび喉(のんど)まで春 
万巻の書を積ん読の春 
狂言綺語をはこぶ春風  
虻の羽音も黄金いろの夢
まあま座れや熊ん蜂殿  

ひとまずこんなところでよろしく。

「山猫通信」(4/8)

壺中天しだるる花の下に臥し   迦
 狂言綺語をはこぶ春風     藍

あと一句、熊ん蜂の句も捨てがたいけれど、ここはめでたく狂言綺語の一巻を巻き納めました。まずは無事満尾にこぎつけたこと、ご同慶の至りに存じます。ひと息いれてから校合です。
話はかわるけれど、かねての約束で今日は讃州丸亀城で花見の野点をたのしみ、同地の連衆と半歌仙を巻いてきました。朝5時出発。只今帰庵してめぎつね通信を読んだのが夜九時過ぎという日帰りの旅ですっかり疲れましたが、でもまったくの快晴に恵まれて、花見半歌仙の発句は、

城たのし笑い声にも散る桜    迦

芭蕉さんの元禄3年の花見の発句「木のもとに汁も膾も桜かな」に劣ること数等。実に309年も経過してしまったのにですよ。嗚呼。

「めぎつね通信」(4/8)

無事満尾。ありがとうございました。お誘いをかけたものの、伝統的な歌仙行をインターネットで公開するという試みは私自身はじめてのことにて、手順、時間などの面でも、いろいろご迷惑をおかけいたしました。でも、オブザーバーさんに見張られているというのも緊張感がありましたね。(まだ、これからが、こわそうですけれど)
――東京行きは町田氏南大谷神社の連句会でした。幕末の女性俳諧師五十嵐浜藻を顕彰する会の主催です。別所真紀子さんの歴史小説「浜藻春風」を読んだばかり。  
石段をあがってゆくと、小じんまりしたお社を満開の花が包んでいて、浜藻さんが通りすぎたようでした。

ひとひらの蝶見失うまひるかな   藍

追うてゆくのみ。

☆校合

「山猫通信」(4/17)

相不変のご多忙の様子ですが、100%の力を常時出していると、そのうち「ばたんきゅう」は必定です。70%程度に押さえることです。
とりあえず私から満尾歌仙の見直しを始めます。ご参考までに。

1 初ウ1 「こなさんが」を「此様(こなさま)が」とするか、或いは
  4句め「トカチョフさん」を「ウオッカ好きなトカチョフと酌む」とする。
2 名オ4句め「一匹狼偽名七つも」としては如何。かなりdramaticになります。

尚あぶれ蚊の句は初秋です。(山本)健吉さんの季寄せは間違っています

「めぎつね通信」(4/17)

ご心配いただいて恐縮です。どうも140%状態をつづけていて、つまりいつもし残したことに追われています。心をいれかえなくてはとつくづく思います。

1 「ムッシュトカチョフあおるウオッカ」ではいけませんか? 怪しげな人であってほしい。(「と」が抜けると自他でなく他の句になりますが)
2 偽名七つもーーはdramaticですけれど、ちょっと物語か映画、小説っぽい。アンドレジードの背徳の館のあとですし、自分で名乗っている長髪の奴の現実でお願いします。句またがりもそのへんいまどきの感じを出しているつもり。鞄の電話も「けーたい」といきたいくらいですがーーー。
3 1の自他場のバランスの件とちょっと関係あるのですが、2句めの恋句直し「武者ぶるいして男恋する」の句、付け筋として恋は落ち着いたのですが、私にはどうも場面のイメージがわきません。当初の候補句の中の「武者震いして風邪をひきこむ」を直されたのですが、もし候補句から生かすなら、「着のみ着のまま」を生かして駆け落ちでもしてほしいんですけど。いかが? 
4 「タダノショウフ」――というと本当にこの女の人は娼婦になりますね。私は「ショセン」というつもりで付けてるんですけど。
5つぎの句は、入道雲が付いて見直すと、やはりトースターが熱くなるほうが合うとおもいますので、「トースト焼けば」に戻してください。

――ベルグラード空爆の件。私はこの歌仙文音、むしろその経過を楽しんでいます。あの空爆ニュースの日には、そういう自分(練れてないですよね)を山猫先生にぶつけてしまう。だから、あれはあの日であるからであって、まだ空爆のなかった時の天狗茸の句(にさしかえはしたくないのです。山猫先生がため息をもらされた。それで充分です。どちらかというと不易―に重点がおありである山猫連句、流行に身をおきたがるめぎつねにはとても考えること多い巻でした。

「山猫通信」(4/18)

校合はゆっくれい落ち着いてからやりましょうという気持ちで70%位の仕事量のときと言ったのですが、早速の返信、恐縮でした。いつか連句協会報に発表した拙文「批評と校合のすすめ」は既に目を通されたかもしれませんが、改めてご参考までに送っておきます。
さてご返事ですが、

1ムッシュトカチョフは露西亜の人にフランス語の呼びかけ、外人は変に思わないかな。それにつぎの付け句は自他半から発想した筈。
2偽名七つもは、私としては精一杯の努力を傾注した七文字ですが、採用されないとは残念です。
3武者ぶるひの句は2/20付であなたの了解をいただいています。
4タダノショウフは、親密な間柄のあっさりとした表現。ショセンショウフは論理的になります。

英語で言えば、
Am I mere a harlot?であり、after all a harlotは重いのです。
以上。おやすみ

「めぎつね通信」(4/19)

1 ムッシュはふざけすぎました。ただトカチョフがウオッカを好きなのはあたりまえすぎるとおもうんですが。このトカチョフのキャラクターのいいかげんさと、火口湖の魚のドッキングを狙ったので、もう1回交渉します。。

トカチョフ某とウオッカを酌む

ではだめ?

2 ここにこだわられる理由を教えてください。
3 一度了解したら議論終わりーーでは、校合が不可能だと思うんですけど。――「こなさんが」と呼ばれたりすると、男はぶるっと武者ぶるいして恋におちるんでしょうか。フン、最初に私が呼んだとき、落ちなかったくせにーー。
4あ、mereならわかります。なるほど。

「キカセテヨ Am I mere a harlot?」になさいませんか。

妻がもっている夫へのひそかな疑いーーほんとうに私という魂を愛しているのか、要するに欲望を満足させるために飼われているではないかという問いーーそれって日本語にすると湿ってしまうんですよね。(だから娼婦でなく、カタカナなんですが)それに、こういう問いをする女は英語でもいいんじゃないですか? しかし英語お強いんですね。私はharlot、辞書をひきました。
追――協会報コピー、口伝の「校合十遍」について。作品というからには校合が大事だということは当然です。1巻をふりかえって、一句の中で、まだ言い切れていない言葉を磨くべきだと私も思います。ただ校合によってそのときの付け筋や、付け心のフレッシュさ,昂揚を失わないようにするのは本当に難しいとも痛感しています。。連句の流れは、本当はとりかえしがつかないのではないか。私は連句が一巻として完全であることはいきいきと生きていることであってーーいわゆる「欠点」がないことではないと思うことしきりなのです。(何を欠点、完全とするかが問題ですが。「こなさん」の大打越に「トカチョフさん」はほんとうにいけないのでしょうか。これからの連句はそういうことを一から考える必要があるのではないかーーとも)
これは、いまこうして校合することを否定しているわけではありません。

「山猫通信」(4/22)

1火口湖の魚が出る必然性はトカチョフの名にあるのではなく、ウオッカを酌む自他半の会話にあるのです。トカチョフのキャラクターにあなたがこだわるのは、この句そのものではなく、私がこの句に付記した注釈でしょう。
2「偽名七つも」という素晴らしい下七句は、原句が日本語としていかにも不自然であるのを改めたこと、且PANDORAの函にはこんな男がひとりくらいは居てほしいからです。
3 江戸時代にはこんな町人がたくさんいました。今でも。フン。
4英文にするならするで「キカセテヨ」もTell me please! と改めなければ,いかにPANDORAの函でもムチャクチャです。

以上。

「めぎつね通信」(4/22)

私のPANDORAの函には、長髪で、「狼です」なんていいかげんな図々しい男がいてもいいと思ったんですが、偽名七つのしたたかさ、強いウオッカに負けて、校合終了いたしましょうか。i
この歌仙、正統蕉風連句の山猫先生が、わがままなめぎつねをどう料理してくださるか、拝見するのがじつは目的です。未熟なめぎつねゆえ山猫先生の意図を細かい点すべて理解できたわけではありませんが、これまでも山猫先生に抵抗した後しばらくしてからふっと腑に落ちることも経験しております。
いつもながら大先輩へのいいたいほうだいに、寛容にお相手くださいましたこと、感謝しております。

「山猫通信」(4/23)

それではこのあたりで初校の筆を擱くことにします。再校はあなたの時間が、あくびが出るほどゆったりしてきたらにしましょう。
 最後に私のミスの訂正ですが、念のため広辞苑(4版)を調べたら、トカチョーフという実在の人物がありました。ロシアの革命家、評論家。投獄されて後、スイスへ亡命した由。昔読んだ本か何かで無意識にインプットされていたのでしょう。手数をかけたけれど、よい経験をしました。有難う。

「めぎつね通信」熊ん蜂さんへ(4/29)

bbsへのお答えなど。
お返事おそくなってごめんなさい。いつも真剣に読んでくださって率直なご意見をありがとうございます。bbsにご意見がはいるたびに、連句が根ざしている古典的な美意識、創作観の特殊性について考えざるをえませんでした。(空さんへも、同じく感謝!)
今回の観音開きという言葉はちょっと使い方が違うんじゃないでしょうか。でも三句のわたりについて、台座とかーーつまり付け筋のお話と思うんですがーーこういうふうに読まれるものかとおもしろかったです。(ときどき強引解釈だなーーとくすくす笑いました。研究者はどうしても分類したがるし、一語で説明したがり、自分で決めた一語を土台にしてつぎを解釈しようとするんだから。)でも、転じのレベル、付け句の流れのずらしかたについての見方も含め、鋭い!。連句は連句をやっている、知っている人達だけの中で安住していてはいけないと改めて思います。ありがとうございました。
山猫先生と連句をするとよく思うのですけれど、私自身には「遺す」という作品意識があまりありません。ただ、いつも強い好奇心をもって生きているだけの人間です。連句のおもしろさも、今の一瞬を、今の相手を見極めようとしているところにあります。もちろん完成度を求める意識は本能的にもっていますけれど、結果として巻きあがった以上、それを補うのは(思い違い、言葉の未熟直しなどの)最小限と考えています。うまくいかなかったところはどうしようもない。(山猫先生に怒られそうですね)ただ違う人間どうしの対吟が作品としての完成度をもつなんて、そう何回もないのではないでしょうか。(山猫先生とは、お互いにかなりそう思えたらしい一巻が過去にすでにあります)
私はむしろ、その、違う人間としてのズレ、誤解、両者の人生観の底にあるものが、言葉の追究によってはっきり出てくるところに、「連句する」おもしろさを感じています。
インターネットに載せた意図も、そのへんにあります。
また一息ついたらこんな試みをしてみますので、読んでくださいますよう。(猫連句はどうお読みになりますか?)
できればまた、ご一座しましょう。

歌仙「パンドラの函」の巻   FAX両吟  初校終了

治定作品:歌仙「パンドラの函99」の巻